八百比丘尼の昔語り

むかしむかし、私の父が海で遭難いたしました。

幸いにも助けられた父は、見知らぬ小さな島に連れて行かれたそうでございます。

そこで、父は大層な歓待を受けましたが、望郷の念強く、
惜しまれつつ帰途につきました。

島の王からの土産のなかに、不思議な「肉」がありました。
だれも、気味悪がって食べません。

なのに、当時、私は、若く、好奇心に満ち、怖い物みたさで、
食べてしまったのでございます。

人に生まれて、不老不死がなんの慰めになるのでしょう。

確かなものなぞ何も無い。

あるのは、人の世の何と儚い夢物語・・・・ 紡いでまいりましょうか・・・・








“果心居士”

戦国末期に暗躍した奇怪なる幻術師でございます。

曰く・・・

奈良猿沢の池にて笹の葉を大魚に変える・・・

ある男の歯を爪楊枝でさらりと撫でたら、男の歯が抜けそうにぶらりと垂れ下がった・・・

勧進能を見ようとしたら人垣が邪魔だったので自分の下顎を撫でたら二尺も伸びて人々が驚いて避けた・・・

剣豪との試合をするはめになったときあっという間に姿を消した。畳の中から声がするのでめくってみたが、やはりいない。振り返ると平然と座っていた・・・

 

 彼は当時、松永久秀や筒井順慶らに依頼されて敵方の探索や撹乱を担っていました。

眩惑の術に長けていたのです。

織田信長に自慢の地獄絵図をみせたとき、信長が痛く気に入所望しましたが、居士はにべも無く断わりました。

すると帰り道に刺客に襲われてしまったのです。

刺客はたしかに手ごたえも有り、地獄絵図も得る事が出来たはずなのですが、主君に献上しましたところ、それはタダの白紙でございました。

しばらくすると居士が生きているという噂がたち、行ってみると確かに川原で絵解きをしているではありませんか。

そしてまた居士は襲われ、首を切り落とされた・・・のです

が、首なし死体は自分の首を持って歩き出し何処とも無く消えていったのです。

秀吉の時代になった頃、招かれて秀吉の御前で一人の女の亡霊を出現させてしまいました。

それが秀吉の逆鱗に触れたのでございます。

秀吉にとって思い出したくない過去の女だったからでした。

居士は磔の刑を申し渡されたのですが、

「ワシは今まで色々な術を使ってきたが、ネズミにだけはなったことが無いので、最後の思い出に一度ネズミになってみたい」と申し出ました。

役人は好奇心をそそられ縄をほんの少し緩めますと、居士はずばやくネズミに変化し、空から舞い降りてきた一羽のトビがネズミ居士をくわえて大空へ飛び去ってしまったということです。

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ミスターマリックに転生したかも?

 


 

“天翔ける黒駒”

その昔、ある高貴な方が一頭の駿馬を得ました。

それはそれは美しい黒駒で、四脚だけが白かったのです。

さっそく彼はその馬に乗ってみました。

するとどうでしょう。

あっというまに地を離れ、雲に紛れて東の彼方に飛び去ってしまったのです。

人々の驚きはいかばかりであったでしょう。

なにせ、高貴な御方です。

八方手を尽くしても見つかりません。

心配と不安のなかで四日ほど経った時、
彼は何事も無かったかのように黒駒に乗って帰ってきました。

「富士山を足元に見、信濃の地を訪れた」と。

のちに彼は斑鳩に宮を建て、黒駒に乗って、
毎日、飛鳥の宮廷に政務を執りに通ったということです。


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今の時代で言うなれば、「ペガサス」でしょうか。

 


 

“虚舟”

むかしむかし・・・

常陸国の沖合いに不思議な船が漂っていました。

釜のような形状で、透明な窓がついており、下部は鉄、継ぎ目は松脂で塗り固められておりました。

浜人は総出て引き寄せ、中をのぞいてみたところ、見た事もない女がおりました。

えもいわれぬ美しさ、赤味かかる黒い髪に白く長い入れ髪をし、衣服もまた見慣れぬ織物でできています。

もちろん言葉は通じませんが、女はただにこにこと微笑んでおりました。
内部には食物らしきものもありました。


書かれている文字は図形のようであり、どこの国の言葉であるかわかりません。

女は大事そうに箱をひとつ抱えておりましたが、中に何が入っていたのかは誰にもわからなかったということです。

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うつろふね と読みます。

 

 


“両面宿儺”

 

仁徳天皇の時代、飛騨に巣食うバケモノとして伝わっております。

胴体はひとつ、二つの顔(頭頂部で合わさっていた)が反対を向いている、二本ずつの手足、身の丈2メートル50センチほど、腕力があり俊足でした。

彼は時の朝廷に従わず、傍若無人に略奪、陵辱を重ねていたため、朝廷は「武 振熊」という人物に退治を依頼します。

両面宿儺(りょうめんすくな)は彼の計略にまんまと嵌まり、首を落とされてしまいました。

おかげで、都は元の安寧を取り戻したということです。

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宿(しゅく)=もとからの、以前からの
儺(おにやらい)=悪鬼を打って追い払う事

どちら側から見ての安寧でしたでしょうか?
彼への評価は今も「二面性」を保ちつづけているのです。


裏表、二面性を持つ怪人ですね。でも、「怪人」でしょうか?
あなたの心はひとつと言えますか?



“瞬間加速装置”

むかし、松本藩に芥川九朗右衛門という忍者がいた。

ある夜、藩主が酒宴を催し、彼に対して「座興になにか忍びの業を見せよ」とご所望になった。

九朗右衛門は、「はっ。承知!」と言い、平伏した。

しかし、一向に動こうとせず、ただただ、じいっと平伏したままである。

人々は、評判の九朗右衛門がどんな術を見せてくれるのかと、期待し、固ずを飲んで注目しているが、無益に時間が経つばかりである。

なんにもせずに平伏しつづける九朗右衛門に、人々が可笑しいと思ったのだろう、やがて、
くすくすという笑い声まで人々からもれだした。

その時、藩主の周りにはべっていた女たちが一斉に悲鳴をあげたのである。

人々は驚いてそちらを振り向いた。

女たちは一様に袂で顔を隠し、うつ伏してしまっている。

すると、彼女達の頭上から、ひらひらと真赤な腰巻が舞い落ちてきたではないか。

しかし、依然として九朗右衛門は平伏したままである。

人々は何が起きたのか、まったく解からなかった。

九朗右衛門は一瞬のうちに居並ぶ女たちの腰巻を抜き取り、頭上に放り投げたのだが、
あまりの素早さに誰もが気づかず、平伏したままに見えたのだ。

藩主を含め人々は九朗右衛門の神業にただ呆然とするばかりであったということです。

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009?




“空飛ぶ菅笠”

蘇我馬子が発願し造営された法興寺。

その竣工供養会のときでした。

蓮の花のような形をした天蓋が音もなく東の空から飛んできたそうです。

しばらく寺の上空に留まっておりましたが、そのうち怪光を発しながら、形を変え、光の色を変え、また、左右上下自由に動き、目も眩むばかりの閃光を放って、飛び去っていきました。

江戸後期にも似たようなものが飛んでいるのが目撃されているのです。

石川某と言う人物が、西北から飛び出してきたものが、地面から十丈(30m)ほど上空を北東に向かって飛んでいった、と証言しています。

そのときは月夜で明るく、見まちがえるはずがなかった。

その、空飛ぶ菅笠は、太い薪の端から噴出すような炎を出して飛び、遥か彼方へ飛び去ってから、どどどっという怪音が鳴り響いてきたということです。

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あんあいでんてぃふぁい・ふらいんぐ・おぶじぇくと・・・です




“肉人”


慶長14年4月4日、早朝、駿府城内の庭は騒然としていた。

天下人の住まう警戒厳重の中庭に、警備のものたちに見咎められずに侵入できるはずはない。

江戸前期、上空から庭へ降りる技術はなく、あったとしても、警護の目を盗むことなど不可能のはずだ。

彼の居室に近い庭に、忽然と姿を現したコレは、手足に指は見当たらず、形は小人のようで、全身がふくらみ、のっぺりしている。

その手を空へ挙げながらたたずんでいたという。

家臣たちは驚いて、とっつかまえようと追いかけるが、なかなかにすばしっこく、捕らえる事ができなかった。

「妖怪変化の類いですので斬りましょうや、否や」と家臣は天下人に伺いを立てた。

しかし、彼は「そのようなものは大した者ではないから、城から離れた山にでも追いやれ」と言って、追い出させた、という。

そして、同日未の刻(午後2時)ころ、奇怪な光り輝く雲が東西にかけてたなびき、東の方から徐々に消えていったのであった。

後にある物知りがその話を聞き、たいそう残念がったのだそうです。

「それは大変高貴な“仙薬”である。食すると大力、武勇にすぐれ、不老不死の効能もあるやもしれなかったのに・・・」と。

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ぷにぷにっとな?

 


 

“降ってきた男”

1810年7月20日、江戸は浅草、南馬道竹門前に若い男が忽然と姿を現した。

男は足袋だけは履いていたものの、着物の類いは一切付けず…全裸であった。

男はただ、ぼんやりとたたずんでいるばかりである。

風呂帰りの近所の若者が一部始終を見たらしく、ビックリ仰天し慌てふためいて逃げ出そうとしたが、男がふいに気を失ってしまったので、仕方なく町役人に知らせに行った。

「お前、いくらなんでも、空から人間が降ってくるわけがなかろう?」と、町役人はとりあわない。

とりあえず男を番屋に運び、医者を呼びに行かせた。

医者は単なる疲れだから、ゆっくり休ませればよいと言って、帰っていった。

人々が心配そうに見守っていると、男はじきに目を覚ました。

「お前、どうして空から降ってきたのだ?」
と尋ねても、男は不思議そうな顔をするばかりである。

「お前はどこの誰だ?」と尋ねると、ようやく男が口を開いた。

「わたしは京都油小路、安井御門跡家来、伊藤内膳のせがれで安次郎と申す。…ところで、ここはどこだ?」

「きょうと?!」人々は顔を見合わせた。

男は話を続けた。

「今月18日、わたしは友人と愛宕山に参詣したのだが、ものすごく暑いので衣を脱いで涼んでいたところへ、一人の老僧がやってきて、“面白いところへ案内してやろう。付いてくるが良い”といった。わたしは興味があったのでついて行ったのだが…そこから先のことは覚えておらぬ」

素っ裸であったから、手がかりは足袋だけだった。

足袋屋に確かめると、確かに、京都でつくられたものだという。

しかも、少しも泥などついておらず、まさに“空から降って”こないかぎり、京都からここまで、2日で来る事など出来よう筈も無い。

町役人たちには手におえず、着物や履物を整えてやってから、奉行所に届け出た。

男は吟味にかけられたが、町役人に申したことを繰り返すばかりであった。

奉行所は男を浅草溜にお預けとした。溜(ため)とは獄舎の一種なのだが、その後の男の消息は不明だということです。

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まさにワープ!




“かぐわしき男”

男の名は番味孫右衛門。松平陸奥守忠宗の家臣である。

 孫右衛門はある日昼寝をしていた。

夢の中で美しい天女が舞い降りてきてあろうことか突然接吻されたのである。

あまりのことに彼はそこで目が醒めた。

あたりを見回しても、もちろん天女など居るはずは無い。

思い出すだけで恥ずかしいが、もちろん誰にも言えるわけが無い。

ところが、それからというもの、孫右衛門が何か

喋るたびに芳しい香が口から漂い出るようになった。

同僚達ははじめ、どこから香るのかわからなかったのだが、たしかに孫右衛門が口を開くたびに香ってくるのだ。

「おぬし、いつからそのようなたしなみを覚えたのだ?口の中に匂い袋でもしこんでるのか?」

孫右衛門は打ち消したものの、同僚達はなにかを含んでいるのだと疑っている。

「隠さずともよいではないか?」

仕方が無いので孫右衛門は先日の夢の出来事を語った。

孫右衛門は特別男前でもなけりゃ取り柄も無い、目立つようなことも皆無の普通の男であるのに、なぜ、天女が舞い降りて接吻したのかわからなかったということです。

***
耳に心地よい言葉を吐きつづける男はたくさんおります。




“火炎娘”

江戸前期のお話。

ある大店の下女が日が暮れて、疲れきって自分の小さな部屋にもどってきた。

美しい黒髪だけが自慢で毎日寝る前にかならず櫛でとかしていた。

ところが、ある夜、いつものようにくしけずると髪からパチパチと火花が出てくる。

下女は驚いて手を止めると炎は消えるのだが、また櫛を動かすと蛍の乱舞のように炎がこぼれ落ちるのである。

下女はあまりのことに驚いて主人に知らせたのだが、主人も試してみるとやはり火の粉が舞い落ちた。

やがて家中が、

「この娘はキツネつきに違いない。妖怪がとりついたのだ」と大騒ぎになってしまった。

そして下女は追い出され、行方知らずなったということです。

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あまりにも強烈な静電気です。まるで髪自体が帯電しているようです。どなたか、お心当たりがありますか?




“エスパー弥五郎”

三代将軍の頃。

幕政を担っていた大老、酒井忠勝の家臣に弥五郎という者がいた。

彼は鯉獲りの名人であった。生け捕りにするのである。川に入ってしばらくすると、魚達が浮いてくるのだ。

巨漢の力士があばれているときも、彼が背中にしがみつくと力士はもんどりうって気絶してしまったのである。

また、彼が少年であった頃、増水した荒川に飲まれて母親が溺死体で発見されたのだが、少年弥五郎は、冷たくなった母親に取りすがって泣いていると、翌日、なんと母親は息をふきかえしたのである。

一度死んだ人間が甦ったのだから、人々は驚愕の極みであったろうが、弥五郎は誰彼無しに助ける事はしなかったそうだ。

お医者で治せるのなら医者にまかせよ、と言うのであった。なぜならば、病人を抱くときは精魂込めるので、異常に体力を消耗してしまうのだそうである。

そうした力を持ってはいても、彼は奢り高ぶることなく得意顔をするでもなかったということです。

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生体発電人間?




“有角人”

垂仁紀二年。

額に角のある人が船で越の国に漂着した。

人々が何処の国の人なのかと尋ねると、彼は意富加羅(おおから)の王子で都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)といい、またの名を于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)と答えた。

それでのちにこの地を「角鹿(ツヌガ)」というようになり、敦賀という地名の起こりになっている、のだそうだ。

二本の直立した鳥毛飾りを付けた冠帽をかぶっていたので、見まちがえたという説もあるけれど、帽子と角を見まちがえるようなことはあるのだろうか?

現在ならば皮膚の角質化による皮膚病の一種などと分析されてしまうかもしれません。

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角ならいつでも生やしてみせまする!。




“土蜘蛛”

源頼光と四天王の退治話はあまりにも有名でございます。

しかし、彼らの存在はもっと古く、「尾が生えている土雲八十建」とか「高尾張邑にいた彼らは身長が低く、手足が長く・・・」とございます。

大和朝廷が成立するはるか以前に彼らは大陸から渡来し、土着した人々でした。自由自在に山野をかけめぐる、鉱山の技術者集団でしたのでしょう。

いわゆる山人でしたから、朝廷の支配下には入りません。

でも、彼らの優れた鉄鋼精錬の技術は朝廷支配者の垂涎の的でございます。

まつろわぬ者達への圧迫は彼らをバケモノ扱いにし壊滅することで達成されました。

その存在は朝廷側にとって脅威以外のなにものでもなかったはずですから。

アナグラに棲みつく、蜘蛛に似た醜怪なものとして、蔑称し、滅ぼしたのでございましょう。

多勢に無勢ですから、ひとたまりも無かったのでしょうか。

しかし、彼らは誇り高き種族であったがゆえにそうやすやすと権力には屈しなかったということです。

***
惜しいことをしましたね、大和朝廷側は・・・ねぇ?



“陰陽師”

有名どころは安倍清明。ファンも多い昨今。

彼は下級官僚の子として生まれたが、天文道・陰陽道を学んで、天文博士や主計権助などを勤め、従四位下まで出世した。

天文博士とは天文や気象などの諸現象を観察しつつ異変などの凶事を判断する当時の科学者であり、主計権助とは調や庸の計算をする大蔵官僚である。

様々な逸話が残されているが、真偽のほどを確かめるすべは無い。

当時の人々、特に為政者・貴族階級は自分の運命の予知を日々最大の関心事にしていた。

予知能力を持つものに対し、神のごとく畏怖したものである。

また、政治権力者たちはそのような人々の心を利用し政治や軍事の際に陰陽師に占わせたのである。

いわば、当時の社会政治は彼ら陰陽師(エリート)に牛耳られていたといえましょう。

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現代の政治もまたエリート官僚が幅をきかせておりまする。(最近は、ちょっと、変わってきたかなっ?




“一つ目の鬼”

近江の国。

ある屋敷に若者達が集まって酒食に興じていたところ、
「この国の安義橋(あきのはし)を無事に渡った者がいない」という話題になった。

すると、ある若者が酔いに任せて、

「オレが渡って見せようとも。名馬さえあれば、訳の無い事ではないか」と言ったので、

「それは良い。噂の真偽がはっきりするし、お主の勇気も評判になろうぞ」と、他の連中もけしかける。

屋敷の主人も名馬を貸そうと申し出る。

 ところが、酔いも醒めると彼は急に怖気づいたのだが、他の者達は許そうとはしなかった。

やがて陽が西に傾き、結局、不承不承、その名馬にまたがり若者は件の橋にさしかかった。

前方になにやら人影が見える。

彼は(すわ、鬼が出たか!?)と、びくつくが、それは苦しそうに身をかがめている、たおやかな若い女であった。

でも、良く考えてみると、こんなところに女房の格好をした女が共もつけずにいるわけが無い。

若者は急いで通り過ぎようとした。

「もし、なぜそんなにつれないのです?このような寂しい場所に打ち捨てられて難儀しております。助けてくださいませ、せめて人里まで・・・」

若者はその声を聞くなり恐ろしさがつのり、めいっぱい馬を走らせた。

しかし、女は「ああ、情けのうございます」と叫びつつ、疾走する名馬のあとを追いかけはじめ、女はついに馬の尻尾をつかもうとした。

だが、あらかじめ油を塗っておいたので、ツルツルしてつかめない。

「おのれ〜小癪な・・・」

女は身の丈九尺、緑色の体、真赤な顔に琥珀色の一つ目、手の指は3本、刀のようになった五寸の爪の鬼に変化しなおも追ってくる。

若者はかろうじて人里にたどり着いたのだが、鬼は「いつか必ず命を喰ろうてやる」といって姿を消した。

若者は家に帰っても厳重に戸締りを怠らなかったのだが、ある日、弟が突然やってきて、母上の急死を告げたので、開門してしまった。

そうそれは、弟に化けた一つ目の鬼であった。

鬼は若者の喉笛を噛み切ると「あな、うれしや」という言葉を残し姿を消したということです。

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女は鬼にもなれるのです。




“有尾人”

神武天皇が東征のために軍勢を率いて進軍中のことである。

長髄彦の激し抵抗に合い、彼は吉野の山中を小部隊だけで偵察に出た。

このとき怪しい人影が井戸から姿を現したのに出くわしてしまったのである。

その者は不思議な光を放つ尻尾を持っていた。

神武が「何物だ」と誰何すると、「井光(いひか)」です」と答えたと言う。

さらに偵察をつづけると、またしても光る尻尾のある怪人が大きな岩を押しのけて穴から出てきたのである。

怪人は「盤排別(いわおしわけ)の子です。天皇の行幸を伝え聞いたのでお迎えに参ったのです」と言って、その場にひれ伏したということです。

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シッポ付きの獣の皮を衣服にしていたのでしょうか。そんな帽子ありますわね。
でも、人間には尾てい骨というものがあります。
発達していたか、退化していなかったのかもしれません。
見えない尻尾のついている人間はそこここにおりましてよ。



“卵聖人”

宝亀二年(771)11月15日。

肥後の国八代郡豊服(とよはた)に住む広公(ひろきみ)という男の妻が、こともあろうに卵を産んだ。

待ちに待って生まれてきたのが卵とはあまりにも異常である。

夫婦は驚き、禍事の兆しだろうと哀しんだ。

人々の目に触れては何かと具合が悪いというので、広公は卵を人目に触れないように山へ持っていって岩の間に隠しておいた。

しかし、広公は卵が気になってしかたがない。

7日目にそっと山へ登って卵の様子を見に行った。

すると、すでに卵の殻が割れており、女の子が生まれていたではないか。

広公は普通の女の子ならいいだろうと安心して家に連れ帰った。

妻の喜び様はひとしおである。

二人は大切に女の子を育てた。

娘は非常に賢く、7歳ですでに経を読みこなすまでになっていたが、どういうわけか女の子は成人しても身長が三尺五寸しかなかった。

しかも、顎もなく、女陰もなかったので、この後、娘は尼になったということです。

***
優れた人は卵生かもしれません。



“鬼とよばれしものたち”

大江山の酒天童子を筆頭に平安の世、都では様々な鬼が跋扈していました。

死霊としての鬼、地獄の鬼、忍隠・・・その中でも京の人々がもっとも忌み嫌ったのは疫病をもたらす鬼でした。

人々はこの鬼は大江山の方角から来るものと信じていたのです。

陰陽道の影響もあるでしょう。北東は比叡山が守護していますので安心でしたが、もうひとつの鬼門、北西には守護するものがなかったので、大江山からもたらされる鬼=疫病は「鬼撃病」と呼ばれて忌み嫌われました。

「鬼は人にとりつき、病を起こす。鬼に撃たれると胸・腰・腹に刃物で刺されたような痛みに襲われ、鼻や口から出血する。重症になるとそのまま死ぬ事もある」

治療法などあるわけがないので、人々は鬼が歩き回って病気にするのだとおそれたのでございましょう。

でも、そのように病気を怖がったのは貴族達だけであって、庶民にとっては税を厳しくとりたてる権力者の方がよっぽど「鬼」だったのかもしれません。

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今の世の鬼はいったいなんでございましょう?





“さわがしい幽霊たち”

寛保〜延享年間、旗本の大竹家に江戸郊外の池尻村から下働きに若い娘を雇った。

その頃から大竹家に不可解な現象が起り始めた。

屋根にものすごい石が落ちてきたような音がしたり、行灯がふいに飛び上がったり、茶碗や皿などの食器が飛び回ったり、隣の部屋に移ったりしたのである。

ある日、下男が石臼で米搗きをしていた。一休みしようと煙草に火をつけるた途端に、重い石臼が垣根を飛び越えてしまったのである。

そのような怪異が続くと家人も気がおかしくなってくる。

人をやとって天井裏を調べてみても何も出ては来ない。

山伏や神主に祈ってもらっても、一向に止む気配は無い。

やがて、大竹家の不思議を聞きつけた一人の老人が挨拶もそこそこに突然こう言った。

「お宅で、池尻村から娘を雇ってはいませんかね」

「下働きとして使っているが」と家主は答えると、老人は「それだ。その娘が怪異のもとなのです。今すぐ池尻村へ帰しなされ」と言う。

家主は、そんな馬鹿なとは思ったが、他に手立ては無かったので、娘に暇を出して故郷に帰らせたら、それ以来、奇怪な出来事はぱったりと止んだという。

文政年間、池袋村から娘を雇い入れた与力の家にも怪異が現れた。

美しい娘であったので、嫌がる娘を強引に自分の物にしてしまってから、与力の家の中に石が降ってきたというのである。

皿や椀、鉢がひとりでに戸棚から飛び出し、火鉢がひっくり返り、飯の中に灰が投げ込まれているという怪異現象がつづいたのである。

あまりのことに恐ろしくなった与力は娘を追い出したらば、やはり、その現象はぴたりと止んだということです。

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産土神(うぶすなかみ)の仕業という説もありますが、小さい村の中で若い娘の存在はとても貴重でした。村の若者達の共有物であったこともあります。
大事な娘を取った町の男達に対する、村の若者らの報復だったのかもしれませんが・・・さて?。




“天狗小僧寅吉”

 文化九年四月、寅吉七才。

いつものように江戸上野の池之端、五条天神の境内で遊んでいると、薬売りらしい奇妙な老人が店仕舞いをしていた。

じっと見ていると、老人は全ての物を小さな壺に入れ、そして自らも壺の中に入ると、何処とも無く飛んで行ってしまった。

寅吉は腰を抜かして驚いたが、次の日も神社の境内に恐る恐る行ってみた。

例の老人は「わしといっしょに壺に入ってみるか?」といったので寅吉は好奇心にかられて壺に入ると、常陸国の南台丈へ連れて行かれた。

 こうして寅吉はたびたび老人と壺に入って各地へ出かけ、諸武術、書道、医薬製法、占術などを学び、超能力まで身につけてしまった。

あまりに度々いなくなるので、世間では天狗にさらわれた少年というので「天狗小僧寅吉」と呼ばれ、異能を発揮していたのである。

 十五才のとき、江戸下谷長者町の薬種問屋長崎屋に身を寄せるようになると、寅吉にいたく関心を寄せた人物がいた。

国学者 平田篤胤である。

 彼は寅吉を自宅に招いて幽冥界について寅吉に質問するようになり、文政五年(1822)篤胤は「仙界異聞―仙童寅吉物語」を発表した。

寅吉は当時かなりの有名人だったが多くは“胡散臭い”人物と見られていたらしい。

寅吉は20代後半になると仙人から授かった超能力は消え失せ、平凡な男として晩年は風呂屋の主人になったということです。

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ハタチスギレバタダノヒト・・・




鵺(ぬえ)

 近衛天皇治世(1151〜53)の頃、天皇は夜毎物の怪におびやかされていた。

 丑の刻になると、東三条の森から黒い雲が流れ来て御殿を覆ってしまう。

そうすると生来病弱な若い天皇は決まって怯え、発作をおこすというのだ。

公卿たちはこの物の怪を退治しようと多くの高僧を招いて加持祈祷を行ったが、一向に功を奏さない。

 そこで、堀河天皇の御世にも似たようなことがあって、そのときは源義家が鳴弦の作法により邪気を払ったという先例にしたがって、源家の頼政をよびだした。

 頼政は家来を従えて夜更けを待った。

 すると、いつものように黒雲がやってきて御殿上空を覆う。

頼政はじっと上空を見つめていると、黒雲に怪しい一筋の光が見えた。

頼政はただちに弓矢をつがえ、怪しい光めがけて矢を射た。

手ごたえがあったと同時に天に大音響がとどろき、巨大なモノが落ちてきた。

それが鵺であった。

頭は猿、胴は狸、尾は蛇手足は虎 という怪物である。

鳴き声はトラツグミに似ており口笛のような声であった。

この妖怪はくり舟に入れられ、西海に流されたという。

鵺は人間を化かす妖力をもつ動物の力があつまったものといわれております。

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 あら、現在の政府を牛耳っておられますわね、鵺さまってば・・・

 


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