その名はハヌキ
T 雪が止んで、雲間から青い光を放つ三ツ星を眺めていたのは あんまりにも冴え冴えと美しく輝いていたので、 「オリオンに捧ぐぅ〜オリ(俺)の美せ〜い(声)!!ぐはっ! そのときだった。 《ヨンダはァ〜?》 間の抜けた鼻声が軽田の頭上でサクレツした。 「!?」 夜中の1時だ・・・しかも真冬だぞ・・・ 「どぁれに断って、ひとんちの屋根に登ってやがる!?」 「?」 どこから声がしたんだ? 《ワシィ おりおんノ ハヌキ〜〜》 軽田の頭上、そのまんま“あたまのうえ”に ・・・のだが、軽田には幸いな事に見えない。頭の上だし。 「なんだこりは?なんでコンナモンがオリ様のおツムに咲いとるんだ!」 ううう〜っと“茎”をむんずとつかんで思いっきし引っ張ってみた。 「どぅわ〜っ!アデデデデ☆」 唸ったのは軽田である。 《ア〜イ ノ〜ミソボワァ〜ンンン〜〜》 「ぬ、抜けネェ・・・脳に食い込んでいるんかっ?」 あわてて軽田は風呂場に駆け込んだ。 「ん?」 なにもない。 確かに左手に茎を握り締めている感触があるのに、 《 ハヌキ〜ミトコーモン〜》 「目に入らぬか〜〜?ってか!ばははは〜!!」 つい笑ってしまって、軽田は唐突に寝ることにした。 (ゆめ、だ。オリは夢をみているユメをみているんだ) だから、夢の中でも寝てしまえば起きられる、と、 夢だと決め付ける事にしたらすっかり眠気が襲ってきたので、 寒がりのクセにオリオンの三ツ星に吼えたのが悪かったんだな。 《ヌクタマッテル しぃつハ バリト〜ン》 あいかわらず頭上からは意味不明の囁きが聞こえるのだが、 「ああ、明日は仕事・・・腰、痛ぇなぁ」 《オオオ〜ン コシノォコシノカンパイ〜ヒロコッテルシィ》 「・・・・」 軽田は一度閉じた目をぱっくり開けた。 確かにこの『 ユメのバカッパナ 』は俺の脳に根を張っている!。 表層意識には登って来ない、無意識界とでもいうべき しかし、『ハヌキ』と名乗ったじゃないか。 だから“オリオンのハヌキ”とはこのバカッパナの唯一 頭をまさぐってみると、まだ確かに触れる。 「アデッ☆」 バカッパナが噛み付いたのである。 《 バカッパナ、アオッパナ、ネギッパ〜ナァ》 「わかったよ、おまえはハヌキだよ。認めるよ。 《ハ〜ヌキ、ヒフヘホォ》 「でも、俺は一応寝かしてもらうよ。 軽田はこれまで数多くの現実逃避をしながら生きてきた。 《 ネタコヲ オコスナ スダコォー!!》 いつまでも、意味不明の言葉がハヌキのまるっこい顔から ・・・・・・・・・・・・・・・・・ オリオンの光もうすれる朝ぼらけ 奇跡的に目覚ましベルの前に目がさめた。 「あふ・・・ゆうべはナンかおぞましいユメをみたような気がする」 いつものクセで頭をぼりぼり掻、・・・くぅ〜?! 夢じゃない。 《 オッバ〜ッ オンババ〜》 ・・・・オリはまだ寝ているんだろうか?・・・ 自分が夢の中のままなのか、それとも現実に非現実的出来事に 「・・・カガミ」 あ、写んねぇのかって、 ん?少し大きくなってる。 夕べは手のひらサイズだったはずだ。 《セイチョウイチジルシイコノゴロハ フユ〜》 ふるふると花びらを震わせながら、いちいち述べ立てるハヌキが 《ハァ〜ン マ ヌケネ〜》 のほほんとした声をきいているうちに軽田はもうどうでも良くなってきた。 へろへろ動きまくるハヌキ花を指先に感じつつ 《ハヌキ かすたぁどくりぃむぅ〜!!》 突如、クリィムクリィムのリフレインが始まった。 《くりぃむくりぃ・・・》 ぴたっと止んだ・・・(味わってるみたいだな・・・) ≪≪ ンベ〜〜ッ ペッペッペっ!!≫≫ 「ってんめぇーハヌキ!! その瞬間であった! |
U 軽田はふらつく頭を両手で抱えていた。 「?」 どうしたっていうんだ。 「てめぇ、客に向かってその口のきき方は何だよ、え?!」 「はいぃ?」 「ここはどこでしょぉ?」 びしんっと後頭部をぶったたかれて、気がついた。 (オリはいつのまに来たんだ?)記憶にないのだ。家からここまでバスに乗ったはずだ。 「軽田!お客様になんて口のききかたをするんでぃ!!」 「ほえ?」 また親方にこづかれて強制的に頭を下げさせられた。 「まま、お客さん、これあっしからの奢りってことで、どうか機嫌なおしてくださいよ」 親方が必死で取り成している。あれ?この風景いつか見たことがあるぞ。 で、つい“わがままこいてんじゃぁねぇぞぉ”っと・・・。言った気がする。親方がとりなしてくれて、この客が 「おい、兄ちゃんおめぇも飲めよ」 そうそう、そう言って・・・ (あ?) 「お客さんからお許しが出たぞ」 うんうん、親方がそう言って・・・ (ええ?) そんでもオリは腹の虫が収まんなくて客めがけてスダコのハラを投げつ・・・やっべ!! 左手にはいつのまにか真赤なスダコっぱらが握られている。 (動くな左手!だいじょうぶだ自分!オリは今ちっとも怒ってやしないぞ。だから、おとなしくスダコをまな板に置くんだっ) ・・・・そのせいで腰が痛くて痛くて一週間泣いてんじゃねぇか。この娘ってのがすんごい掃除ベタで、遠い昔、奇特にも彼氏ができて、部屋に呼ぶってんで一念発起して部屋掃除をはじめたのはいいがあちこちゴソゴソやるうちにガラクタの山になり遂に収集つかなくなってプロを呼んだという(親方が嘆いていた)、いわくつきのお嬢である。 だから、金輪際スダコ様は まな板上にいるべきなのである。 「あ、あふ、ありがとございます・・・す」 スダコがびたんとまな板に落ち、オリの左手は客が出した杯に伸びた。右手があとを追う。 ああ、ありがとう、オリの左手〜。 「ま、今日はめでたい日だしな。雅子さまもがんばってんだしよ、オレらもささいなことでケンカしちゃぁよくねぇってもんよ」 客は機嫌をとりもどした。 「あ、あい。よかったっすね。女の子がお生まれになったことだし」 「あん?なに言ってんだ、おめ。入院したばっかじゃねぇか。なんぼ雅子さまだってよぉ、30分かそこらで産むもんか」 「え?でも女の子・・・愛子さま、プリンセス・ラブなんつって世界中が喜んで・・・?」 客が怪訝な顔でオリを見ている。 「はははは・・・だったらいいなぁなんつって・・・あんのぉ、親方、イタマがアタイんで帰っていいっすか?」 親方は黙って眉間にシワつくりながら手をヒラヒラさせた。(とっととイッチまえ!)こういうときの以心伝心は助かる。 軽田はそそくさと店を出た。 やっぱり一週間前のあの時とおなじだ。違っているのは“立腹”していないし、バツ掃除も、腰も痛くないってことだ。 (夢か?まだ、これ・・・)しかし、そうそう夢オチばかりも続くまい?(汗・・・作者) いくら脳天気の軽田とて、そのへんは冷静になれるのである。ふと頭に手をやってみた。 バカッパナは―― |
V
無い!ないない!いない! 「やった〜っ!」 軽田は小躍りしていた。なんかひどく嬉しくなってこのまま家にかえるのがもったいなくなった。独りモンの一人暮らしなのになぜか帰宅拒否するおとおさんの気持ちが理解できた。ツケのきく店で飲んでくか。12時すこし過ぎてるくらいだからま、開いてるだろう。 雪も少し降ってきたが寒い家に戻りたくなかったのだ。 「すなっくポテチ」の看板がいやに懐かしい。 カラランとドアベルが鳴るはずだった。 り〜んごぉ〜ん ♪ 「なんだぁ?」 「あっら〜ぁ、いらっしゃ〜い!お久しぶりじゃぁないのぉ、お見限りかとおもってたのよぉ」 替わったのはドアベルだけだった。 「何だよ、あの音は。近所迷惑だろぅ?」 「うふ、もうすぐクリスマスじゃないの、それに皇太子さまんとこにもベイベが生まれることだしぃ、派手にいきましょう、このさいって思っちゃったのよぉ」 ママはニューハーフである。 本名は開田久弥。もじって久子と称し、“チャコって呼んで”と言っている。 (そうだ、あの時もたしかここに来たんだ) 少しずつ思い出すが前は怒り心頭に達していてママにさんざん諭されたんだっけ。しかし、今回は違うぞ、オリは怒ってないもんな。 「どしたの、そんなニヤケた顔しちゃって。めずらしいじゃない、なんか良い事あったのね」 「まぁな。ちっぽけなヨロコビってやつ」 ちょっと頭に手をやる。 「ふうん。よかったじゃない」 ママのいいところは根掘り葉掘り聞かないことだ。客の感情を即座に読んで嬉しい時はともに喜び、悲しんでいるときはいっしょに泣いてくれる。それだけで客は満たされる。 「良い事づくめの今日ってことよね。歌ってあげちゃうわ、アタシ!」 よぉ!待ってましたと客がはやしたてる。ママは左手にマイクをつかむと小指をピンッと立てて得意のノドを披露した。クリスチャンのママは堂々としたバリトンの持ち主でもある。 「Ave Maria わが君〜・・・・」 ああ、なんだ、ここで覚えたのか、あの歌。 オリオンの三ツ星に向かって吼えたときつい口について出た歌はチャコママが歌ってくれた歌だった。 ”なに怒ってんのよぉ。頭冷やしなさいね。歌ってあげるから、アタシ”そう言って今のように朗々と歌ってくれたんだ。小さなところでシチュエーションが違ってはいるが、なんか流れは同じ気がしてきて、それがなんとも不安をかりたててきた。 (バツ掃除終了日にここに来てママの歌聞いて・・・そいで)あわててまた頭に手をやるがかの「ハヌキ」は無い。ほっとする。 いないんだから、それでいいじゃないか。 たとえ時間が逆戻りしてようが戻り方が短縮しまくりだろうが、微妙に違っていようがいいじゃないか、楽しけりゃなぁ。 軽田は現実逃避型脳天気独身男の本領発揮でもう何も考えない事にした。そう決めたらどうでもよくなって楽しく飲みまくることにした。 「チャコママ!オリは嬉しい!飲むぞぉノンじゃうぞぉ―っ」 あの日とまったく同じ展開になってきたことに軽田は気づかなかった。 そのころ雪雲の上ではオリオンがけたたましく輝きはじめていたのである。 どのくらい飲んだだろうか。軽田はタクシーを呼んで貰って帰宅した。”タクシー代?いいわよぉ、奢っちゃうわぁ。イイコトあったお祝いね〜”チャコママはイイヒトだぁと、ますます上機嫌になった軽田は頭の中でリフレインしっぱなしの例の歌をついオリオンに向かって吼えてしまった。 ≪ハァ〜〜〜いィィ≫ 一気に酔いが醒めたと同時に時間軸は正常に戻った。 軽田は指のカスタードクリームをペロリと舐めていた。 |
W
《ヒッヒッヒ チャコハオヤジィ〜〜》 ぷるぷる葉先をくゆらせてハヌキは軽田の頭上に君臨している。 もうすぐ正月だ。忘年会シーズンだもの「居酒屋“お花ちゃん”」は不況の波にもまれつつも 客足はまぁまぁだった。 (オリはいつまでこいつと 、お付き合いせねばならんのだ?) あれから時々、時間がいったりきたりしている。もう何が何だか、ホントウは今がいつなのかもほとんどわからなくなっている。 時間ってのはひたすらまっすぐ未来に向かってつっぱしっているもんじゃぁないのか?え? なのにオリはふいっと過去に戻ってしまう。自分の中の時間はきっちりまっすぐ過ぎているのだから始末が悪いのだ。よって、過去におけるその時点の感情などはすでに昇華されていて、周囲とつじつまが合わないことが困るのである。 ふりあげたコブシや握り締めたティッシュの持って行き場がないのだった。当然相手も面食らっているだろうと思いきや、彼らには軽田が一瞬のうちに未来の軽田に変身しているなんて思いもよらないのだから、メンは喰わないのだった。 こないだ、ハヌキの傍若無人さにほとほと愛想が尽きて、 「テメ―なんぞ、早くどっかにいっちまえぃ!!」と怒鳴ったら、まさに、恋人と別れるか否かの話し合い中にタイムスリップしてしまった。 恋人はもちろん思いっきし右手を振りかぶり、空気を切り裂いて軽田の左ほほに真赤な手形を残して去っていったのである。 (ホントはホントはあのとき、オリは泣きながら言ったんだよ。「おーいおいおい、てめーなんぞ、早くどっかいっちまえぃ、なんて、冷たい事は言わないでおくれよぉ〜オマィ〜〜」そしたら、彼女ってば、ふっと笑って「しょうがないわね」なんつって、オリをぎゅうぅっとしてくれたんだ。それから、一ヶ月はもったじゃないか。結局、彼女に玉の輿の見合い話が舞い込んで、さっさと嫁にいっちまったけどな。) 遅かれ早かれ別れる二人だったけれども軽田にとってはその一ヶ月の想い出が大事だったのだ。しかし、彼女の手形を頬に押された時、大事にしていた想い出がきれいさっぱり消えてしまった。 消えた記憶はどこに行くのだろう。 そう、ハヌキのエイヨウになるのである。宿主にとって意味のあるなしに関わらず、記憶そのものが単純にエネルギー変換されてしまうらしい。ハヌキはますます大きく咲き誇るばかりである。 が、軽田にはあいかわらず見えない。手触り確認のみである。花弁の直径は30cmを超えたであろうか、茎は20cmほどで太さはスリコギくらいはあるな。重さが無いのが救いといえばスクイかしら。“彼女”のボキャブラリーは日々豊富になっているのだが、通じるわけではない。同じ日本語を使用しているので何を言っているのかはわかるのだが、意思の疎通は全く無いのだ。唐突に喋りだす内容を斟酌してハヌキ様の御用達をいたすのである。こういうのを下僕という。 他人様にも見えないらしい、タダ一人を除いては。 そう、チャコママにはしっかりハヌキが見えるし、なんと「話が出来る」のだそうだ。(ハヌキ語があるんだっつってたし) チャコママによると、多くの人々は見えてはいても(眼球に投影されていても)「或る」と認識しないので“見えない”のだという。しかし、オリは或ると確信してるのに「見えない」のは何故だ?と言ったら、「いやぁねぇ、アンタは宿主だもの」というご返答だった。 だから、ナンデ?!・・・・おそるべきオカマオヤジである。 チャコママは必ず高級カスタードクリームを毛根に塗ってくれるので、彼女たちはすっかり意気投合していた。しかも、ハヌキはママにだけ聞こえる波長で歌を謳うのだそうだ。そんなに仲良しならオリの頭からママの頭に移住すりゃぁいいのに、 「いやぁよぉ、アタシの頭に咲いたら、アタシ、ハヌキちゃんが見えなくなっちゃうぢゃない!!」 というわけである。ハヌキも同意らしい。 「ガルちゃん、あのね、ハヌキちゃんったら、このごろすんごく綺麗になってるのよぉ。毒キノコ色から今ではレインボーよ。しかも、キラキラ輝いてるし。うらやましいわぁ、アタシ」 なにが羨ましいんだか、チャコママの髪の毛だって相当なものだと思う。それこそレインボーじゃんか。紫のグラデーションかかってるし、ごていねいに金粉もかけてあるし、とどめに今時、タテロールなんである。タテロール!! カーラーでくりくり巻いて、しっかりクセがついたところでタテに引き抜くのだ。そして、あくまでソフトに見せかけつつ、ガチンゴチンにスプレーで固めるのだ。バネである。腰をくねらせて歩く後姿、ばっくり開いた背中でぶっといレインボーのバネが4本、びよん、びよんと跳ねている。 「ねぇん、ガルちゃん、アタシお願いがあるんだけど〜」 ちょっと背中がぞくっときた。新手のインフルエンザ並みである。 「ムリな話じゃないと思うのよ。アタシたちお互い独身なんだし」 な、なにを言い始めたんだ、このオッサンは。
おおっ!やっとその気になってくれたんだ! 「よ、喜んで!!いやぁ、こっちこそ礼をいうよぉ! 軽田はチャコママの気が変わらないうちに 「やん!何すんのよぉ、ガルちゃんったら!」 はっしとオリの手をつかんでチャコママがわめいた。 「もう。アタシのオツムに生やすんじゃなくてよ。言ったじゃないのぉ。」 「いや、ママ、こいつ結構便利な機能付きだし。ほら、都合の悪い過去にとんで修正してくれるっていう・・・」 「ふん、ガルちゃん、アタシには修正したい過去なんてこれっぽっちも無いのよ。いつだって精一杯、大事に一所懸命生きてきたんだもの」 あっらー、さいでっか〜。じゃ、どゆこと? 「ぅっふ〜ん、だ・か・らぁ〜アタシたち一緒にくらしましょうよぉ〜」 ・・・・・くゎっ? |
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アタシタチイッショニクラシマショウヨ・・・ 誰と誰が? オリは自らの電源をズポッと抜いた。 ハヌキと共生するだけでもワケわからなくなっているのに、 「うふん、ガルちゃんってば、二つ返事で喜んでくれて、アタシうれしいわぁ。前々からそんな夢みてたのよぉ、ヂツは。」 オリの脳はシャットダウンしたままである。 「さっそく荷造りしなくちゃ!あん、だいじょうぶよぉ。手伝いはアタシのお仲間が大勢きてくれるもの。ガルちゃんちもとっくにリサーチ済みだし〜。」 いつのまに・・・・ オリはいったいどうなるんだろう? つい、ケツに手をやる軽田であった。 ♪ 右手にハヌキ〜左手にオリのケツ〜背中にタテロールくねらせて〜♪ 客の歌う“カサブランカダンディ”が替え歌に自動変換されて チャコママと軽田が同棲のはなしで盛り上がっている時、(ま、一方的にだが) カラオケをやる訳ではない、話に興じるわけでもない、 ただし、非常に美男子の二人である。 チャコママのモロ好みってやつである。 年上そうな男は渋い二枚目で、そり上げた頭も (ユルブリンナーばりだワ〜)に見え、もうひとりは (ジャニーズ系じゃぁないの!)と狂喜し、 チャコママはこの一見さんらをもろ手を挙げて招き入れ、 隙の無いチャコママ唯一の弱点『美青年』に理性のタガがぶっとんだ好例であった。 だって、この二人、どろぼーに来たんだもの。 |
Y 「に、にいちゃん・・・ボクらここ、初めてだよね」 「そのはずだ。ママとも初対面だ」 「・・・なのに、ナンデこんなにサービスいいのさ」 「オレに聞くなよ」 兄弟らしい。 涼しい目元は知性の光を放ち、品よく動く唇は・・・ 「に、にいちゃん・・・あの人なんだか意識が無いみたいだね」 「お?おう。ありゃ、完璧に失神しとるぞ」 軽田と話がついたチャコママは、狙った獲物とばかりに 「ねぇねぇ、こちらさん、初めてよねぇ。あは〜ん、アタシ好みヨォ二人とも」 「!?」 「!」 「さ、遠慮なさらずにどんどん召しあがってね。いやん、お代なんて気にしないで。いつでもいいのよぉ」 兄弟は完全にチャコママの術中にハマッテイル。 呆然としつつ注がれるままに飲んでいたら、ふたりとも当初の目的をすっかり忘れてきたようだった。 「に、にひちゅわ〜ん、ボクわ〜っ、大学ぅつづけたいよぉ〜」 泣いている。 「わ〜っとる、わ〜っとるって・・・んだから、このにひちゅわんが何とかしちゃるって、いつもいってるだろほぉ〜」 真赤である。 ぱっちり目のジャニーズ系の弟は大学生らしい。渋い“ユルブリンナー”似が兄か。 かしこそうな兄弟なのに何ゆえ、 「でむぉ、にひちゅわんってば、教授とケンカしちゃって、研究室追い出されちまったんだし、どうすんだよぉ。ボクもバイト探したいけど、不況でさ、上手くいかないし・・・」 「・・・だから、おまえ、手っ取り早く・・・・」 言い忘れたが、チャコママの聴覚は常人離れしている。 よって、兄弟のこそこそ話もこの喧騒の中でちゃんと聞き分けていたのだ。厩戸豊聴耳皇子バリの特殊能力保持者なのに、なんでこんなスナックなんぞをやっているのか、謎である。 「ねぇねぇ、お二人さんってどういうご関係なのぉ?」 「ふうん。で、お仕事は何をなさっているの?」 チャコママにしては珍しい質問である。めったに、根掘り葉掘り聞いたりしないのに、どうしたことかと客が一瞬押し黙った。 「あ、いや、半年前まで大学の研究室にいたんですがね、上司の教授と、ちょいとモメましてクビですわ。親もいないし、こいつの授業料もそろそろ払えなくなってきてるし・・・あと、2年もあるのに・・・俺が少し我慢すればよかったことだったのに・・・」 「んまぁ〜んまぁ〜」 チャコママはでっかいダイヤを煌めかせた両手をシャネルのファンデーションを塗りたくった頬にびと〜っと押し当てて、大袈裟に同情している。 「ボクもバイト、今日でクビになっちゃたよぉ〜」 と、ばさばさの睫毛を濡らして弟が泣く。 「あん、泣かないでぇ。かわゆいお顔がぐちゃぐちゃじゃないのぉ、ほらほら」 <ぐっち〜ん> 「ありがとぉ、ままさん〜死んだかぁちゃんみたいだ〜」とにっこり微笑んだ顔がなんとも可愛かったので、 「あっは〜ん。もう、アンタたちのために歌ってあげちゃう!」 その時、軽田は朦朧とする意識の中で ( ・・・やめろぉ、ママ・・・そりをうたっちゃ〜イケナイ・・・また・・・ハヌ・・・) と思ったところで、また気を失った。 軽田の頭上ではハヌキが常に無い動きを見せていた。 ハヌキはちんまりとした葉をまるっこい「顔」に当てている。 チャコママ十八番の「アヴェ・マリーア」独唱の朗々としたバリトンが始まった。兄弟は呪縛されて身動きできないでいる。 そして、3フレーズ歌い切った瞬間である。 ハヌキの「顔」から葉がポンっと離れた!
何かを吐き出したのだ。 誰にも知られずに、種子が蒔かれたのだった。 チャコママになら見えたはずだった。 そして、彼は遂に叫んでしまった。 「いいぞォママ!すごいぞぉ!!俺はなんだか嬉しい!飲むぞぉ、飲ん じゃうゾぉー―!」 「に、にひちゃ〜んん♪♪」 軽田、人事不肖の中、ハヌキはにへら〜と笑っていた。 |
Z
いつのまにか、雪が本降りになってきていた。大晦日を過ぎたあたりから、記録的な大雪になりそうだと気象庁がさわいでいたのだが、当たったようである。 暖かな家庭を持つものならば、ほっくりとした、それぞれの家で正月祝いをしているのだろうが、「すなっく・ポテチ」で飲んでいる連中に、そんな楽園があるはずもない。 客達は胸の奥底に寂しさなんぞをぎゅうっと圧殺し、めでたいめでたいとキラビヤカにしていたところで、頭のすみっこには、暗く冷えた棲家が待つばかりとくれば、なかなか店も閉められやしない、チャコママは毎年そう思う。 それでも、表向きは閉店を装いつつ、おおいに飲んでさわいで、クダを巻き、かつ歌って吼えて、かの初心者泥棒インテリ兄弟も、何しに来たのかすっかり忘れて「すなっく・ポテチ」の小さな幸福空間で、どっぷりと、文字通り“酔い痴れて”いたのである。 ・・・・・・・・ ほてっと、軽田が目を覚ました。 「あんが?ココはどこ?」 「んまぁ、ガルちゃん、お目覚め?良く、寝てたわよぉ!」 と、冷たい水を出してくれる。 「ふぅぃ〜っ、ヒィィッック!!ガルゥちゃんっていうんですくぅわ〜?おいらは竜野武ってもんでぇ、お初でごじゃりますがな!」 「・・・?」 「うふ、今夜からウチのお仲間になってくれたのよん。ちょいと男前でしょ?くふふふ」 と、武に流し目を送るチャコママ。武は空調が効かなくなったのかと、ぶるっと背中を震わせた。 「そいで、こっちのカワユイのが弟の和弥クン、大学生ですって、きゃっ 」 なにが、きゃっなんだか、和弥はすっかりつぶれて、長い睫毛をふるわせつつ眠り込んでいた。 「はぁ、そりゃどうも。軽田ってもんです・・・」 「おおっ、御噂は兼ねがね〜おいらは金がねぇ〜ばははは!」 どんな噂をしてたんだ?このちょっと見は怖いが、陽気なあんちゃん・・・・ 「うふふ、ガルちゃん、気がつかない?」 「あん?アニがよ」 「タケシちゃんの頭よ、あ・た・ま」 「?」 「咲いてんのよ、ハヌキちゃん・・・」 「!!」 軽田は条件反射で両手を頭に持っていく。カスタードクリームのにおいのする髪をまさぐる・・・。 いるじゃん!ぷるぷると震えながら、すっかり巨大化したハヌキが。 「? ハヌキはここにいるぞ、ママ」 「うふん。ガルちゃんのハ〜ちゃんがタネ飛ばしたらしいのよ。で、タケシちゃんのスキンヘッドに到達、根を張ったってわけね」 増殖である。 軽田には竜野武のハヌキは見えない。つるりんとした頭をペシペシさせてもらったのだが、何の手触りも無い。 「あ〜〜ん、ガルくぅん!!おいらの偉大なオツムをペシペシしてよいのは、見目麗し〜い女性に限るんだがぁ〜」 「アタシ、ちゃんと説明したんだけど、タケシちゃんったら、すっかり酔っ払っちゃってて、おそらく、こうしてても意識不明状態だと思うの。ちっとも理解してないでしょうね」 ≪ハンハン はぬき〜フタゴ〜〜ン♪≫ 軽田のハヌキが歌っている。 「あはは、いやぁねぇ。ハヌキちゃんズってば、ハモってるじゃない!」 ハモハヌ・・・・ 「シャコママハンッ!アンか、おいらのアタマ付近で、へろへろ動いてる気がすンですがぁねっ?ここってば、真冬にアンか虫飛んでまっか?」 ≪トンデル〜ノハ ブタノケツゥ〜≫ 「ブタのケツ〜っても聞こえるっす〜〜!!」 武はブランデーのサイダー割入りコップをかかげて、高らかに叫んだ。そして、そのコップをかしゃんとテーブルに置く。その間、わずか2秒・・・ 瞬間、涼やかな瞳を取り戻した武がそこに居た。 「・・・僕はどうしたっていうんだろう?」 「タケシちゃん、あんた・・・」 「ああ、チャコママさん。今はいったいいつです?」 武は2秒の間で、過去に戻り、そして何かをして、また、この時間軸に還って来たのだった。 すっかり酔いから醒めた顔つきで、武は猛烈な速さで考え始めていた。 チャコママはタケシちゃんのハヌキをじぃっと見つめている。 みるみる成長していくのだ。武の高度な思考エナジーは成長を高速化させるようである。 「僕は確かに過去に戻ったようです。確信できます。研究室をクビになった事件が起きる前に戻ったんです。後の展開がすでにわかっていたので、教授ともめる原因をあらかじめ排除できました。よって、僕のクビは無かった事になっています」 チャコママが妖艶な微笑み(自分でそう思い込んでいる表情)を見せて 「よかったじゃない、おめでとう」といった。 「はぁ。そいで、嬉しくなって弟といっしょにここに飲みきて、それで・・・」 チャコママと軽田は顔を見合わせた。武が“クビ”になった原因の言葉は《 ブタノケツ 》だったとは―― 「この花のお陰なんですね?」武がそっと触れる。 ≪ ハナッカラ イッテルッツゥコッテ〜 ≫ 二つのハヌキが高らかにハモる。 軽田は唐突に理解した。まるで武の脳味噌が転移したごとく、なにもかも明瞭に思考できるのだ、 これから先、ハヌキは変わらず自分の頭の上で咲きつづけるだろう。そして、増殖していくのだろう。 自分の気に入った人間を見つけて、タネを飛ばすのだ。そして、宿主の様々な思いをエナジーにして、美しく成長していくに違いない。 ただひとつ、ハヌキがタネを飛ばす人間の共通点だけは解かった。チャコママお気に入りの「男」という事実である。ハヌキの親玉はこの不可思議なオカマオヤジなのだろうか。嗜好パターンがシンクロしているらしい。 それとも、チャコママにも気づかれずにハヌキのタネを置いていった何者かがいるのだろうか、アヴェ・マリーアの歌とともに。 それは、今となっては誰にも解からないことである。 軽田はチャコママとの同棲生活を免れただけでも、ほっとした。 あれからハヌキは増殖を続け、「すなっくポテチ」の常連のほとんどが巨大なお花を頭の上で揺らしているのだった。 夜ともなると、店中の客のハヌキズがコーラス隊になってハモリまくっている。それを堪能できるのはチャコママただ一人だったが、 「アタシ、ハヌキちゃんズコーラス隊に名前つけたげたのよぉ。“ラ・フローラ”っていうのぉ。うつくしいでしょぉ?」 チャコママだけはハヌキを咲かせてはいなかったのだが、お気に入りの男前がくるたびに「アヴェ・マリーア」を歌い、一本、また一本と“ラ・フローラ”の団員を増やしていくのだった。 まったく、めいわくなオカマオヤジである。 幸福をもたらすのかどうかはわからないが、カスタードクリィムの甘い香が充満する「すなっくポテチ」に、ああ・・・今夜もまた新しい犠牲、いや、住人が迷い込んで来たようである。 ・ ・ ・ ・ |
完