ママさんコーラス

殺人事件

 登場人物、団体名その他はすべて空想上の名称です。
似たような誰かさんがいたとしても、それは限りなく気のせいですので、
ご了承願います。

 

 

 

1.プロローグ

 バスの中は、いつものようにうるさかった。

よくこんなに喋る事があるものだと、指揮を任されて10年目の中学音楽教師 川下玲子は見ていた楽譜を閉じた。ようやく新緑の季節を迎えて山々が薄緑に萌えている。田畑にも豊作を願うお百姓がそこかしこに散らばって、作業に没頭している麗らかな休日である。

だが、高速を北にむかって走るバスの中には、そんな初夏の風情を満喫する余裕も無さそうに、お喋りに興ずる30余名のおばさんたちの声は、玲子の音感を狂わすばかりであった。

今から数時間後には「ママさんコーラス北部大会」のステージに上がらなければならない。毎年各県持ち回りで開催されるのだが今年は最北端の青森市である。玲子が指揮をする“コール・ラ・メール”は昨年全国大会に出場を果たしたので、今年はどんなに素晴らしい演奏をしても全国大会には行けない規定がある。その点で今日は少し気が楽だった。

「先生、ここんとこのテンポのことなんですけど・・・。」

わざわざ後部座席から揺れるバスに身をまかせつつ近づいてきたのは、ソプラノのパートリーダー、中谷弘子である。若い彼女の声は年々老齢化を辿る一方のおばさんコーラスにとって貴重な存在であるし、入団3年目にしてパートリーダーをまかされているのは彼女の誠実な人柄と明るい性格のたまものであり、パート内だけでなく団員全員の信頼もかち得つつあった。

弘子がいってきた個所はこれまでの練習でもさんざん注意してきたところで、ソプラノがきっちり決めないと他のパートが発声しにくくなってしまうという重要な個所であった。

「うーん、昨日の練習でもここんとこダメだったんだよね?。」

「はい。ワンテンポ遅れちゃうんですが・・・。」

「全員?」

「は?あ、いえ、あの・・・。」

弘子が言いよどむ理由はわかっていた。いつものことがまた始まっているのだと玲子は覚悟した。

ソプラノの重鎮、藤坂あき乃である。齢、70にしていまだにソプラノから動こうとしない。どんなに高い音もがんばって出そうとするから、聞きづらい声になってしまうのだが彼女にはわからないらしい。それだけならまだしも、やたらと声量はあるのだ。昨年のこの大会には旦那の体調が思わしくなく、泣く泣く出場を断念してくれたので、すばらしいハーモニーをこわすことなく全国大会行きを手に出来たのかもしれない、と誰もが口には出せずに思っていた。

「藤坂さんがなにか言ってるの?。」

「あの・・・」消え入りそうな弘子の声の後から、藤坂のしゃがれ声が割ってはいってきた。

「センセ!ごめんなさいねぇ。あたくし、テンポがズレてしまって、みなさまにご迷惑だとは思うのですよ。でも、どうしてもダメみたいですの。なんとかなりませんかしら?。」

その瞬間あれほどうるさかったお喋りコーラスがぴたっと止んだ。

沈黙の声が聞き取れるようだった。

(また、はじまったわよ。得意のゴリ押しだ。ああ、きっとまた先生が折れるだろうなぁ。どうすんのよ、メゾ、アルトの出!あと、3時間後ステージなのにねぇ〜)

この声は藤坂には届かないものなんだと玲子はあきらめた。揺れに身を任せていた弘子の前に立ち上がった。

「そうですね。楽譜どおりに歌うこともコンクールでは大事ですが、今年は全国大会には行けないのだし。ソプラノさんが気持ちよく伸ばして歌いたいというのもわかるので・・・いいとしましょう。メゾ、アルトさんには私がちゃんとキッカケを出しますので大丈夫ですよ。」

ほらやっぱりね、と全員の顔が言っていた。もちろん藤坂は大満足そうである。私の言い分には逆らえないんだと言っている表情が、玲子には少しにくらしく思えた。






2.予兆

 おばさんたちは藤坂あき乃の一件ですっかり大人しくなり、ちらほらと楽譜を取り出して確認する者もいたので、玲子は溜息をひとつついてからピアニストの雲野杏子に問題の個所の確認をすませた。

「ごめんね、オキョウ。毎度のことでさ。私キッカケだしがあるからアンタにまで気が回んない。」

「いいって。まかしてよ、そのくらい。何てことないって。」

 杏子は玲子の幼馴染みだ。

幼稚園のときから同じピアノ教室に通っていた。とはいえ、そのお教室は杏子の母親が開いていたものだったのだが、杏子の自宅は別にあったので幼稚園から帰宅すると仲良く通っていたのである。

ピアノの実力は群を抜いていた。こういうのを才能というのだろうか。小さいころから杏子のピアノの音色には常に感情がこもっていた。幼いときには幼いこどもの素直な思いが、思春期には揺れる乙女の気恥ずかしさが、年代ごとにみずみずしい感性が如何なく発揮され、聞く人を刺激しつづけていた。そう、あのときまでは・・・

「ホントにありがたいわよ。杏子がこんなおばちゃんコーラスの伴奏を引き受けてくれるなんて思っても見なかったし。前任者があっさりやめてくれちゃうもんだから、困ってたものね、みんな。」

「あはは、こらこら、自分のコーラス団を“こんな”はないでしょうに。いい合唱団だわよ、第一声が揃ってるし、皆それなりに努力してるもの。だから、去年全国に行けたんじゃない。」

「まぁね。中・高生の天使の声もいいけど、大人の女声ってのも悪くないでしょ?しかも、年齢が高いとそれなりに円熟味が出て、“天女”って感じがするんだなぁ。」

天女ねぇ、と玲子と杏子は声を立てて笑った。なかなかに喰えないツワモノのおばちゃんたちだが玲子が指揮者を辞めない最大の理由がそれであった。人間関係の難しさはどんな社会でもあることで、しかも女だらけの集団である。日常の小さなトラブルなどあたりまえなのだから、いちいち気にしているわけにはいかない。その都度なんとか穏便にすませればいいことなのだ。

 バスは高速をおりて、青森市街を走っている。本州北端の街だが様相は都会のそれと変わらずにぎやかである。夏にはねぶた祭りを見に全国から観光客が集まってくるのだ。市内はもとより近郊の旅館、ホテルは去年から予約で満室らしい。祭りの山車がねり歩くメインストリートの歩道には桟敷席が設けられ、そこに陣取った泊り客のなかからも、にわか跳ね人が出て短い夏を惜しむかのように祭りが盛り上がることだろう。

バスの窓からコンクール会場が見えてきた。

「みなさん、もうすぐ到着しますので準備してください。衣装と貴重品だけでいいですよ、終ったらまたこのバスで宿泊場所まで行きますから。」

団長の佐藤美也子がいつものようにテキパキと指示を出す。ラ・メール発足当時から団長をつとめている古参団員のひとりであるが、藤坂とはまた違った意味でワンマンが目立つ女である。彼女なりのリーダーシップではあろうが独善的なところもあって、ときおり団員がふりまわされるハメになる。いっしょうけんめいさがアダになっていることに未だに気が付かないのは、団員がトラブルを避けようとして彼女の主張を無批判に受け入れるからであろう。

団員達はこころなしか頬を紅潮させつつ衣装いりのバッグを手にバスを降りていく。今年3年ぶりに新調した緑色のツーピースドレスである。ピアニストの杏子も彼女らのドレスに合わせてうす緑のオーガンジーでブラウスをつくり、玲子の全身黒づくめにも合うようにスカートは黒のロングを用意した。

ママさんコーラスでは歌の出来はもちろんなのだが、衣装の良し悪しも影響するのである。

近頃では審査対象にもなってきている。演奏曲と衣装のバランスや、パフォーマンスも全国大会推薦への大事な要素らしい。

だから、パフォーマンスの為だけにプロの演出家を頼むところもあるという。

しかしなによりも客の反応がステージに影響する。何年か前、手作りらしい衣装で登場した団があった。上着はふつうの白ブラウスだったが、スカートは前センターから赤がちらっとみえるという黒のロングスカートらしかった。しかし、手作りのためか、みごとに不揃いで体格のいい人などは黒・赤・黒のだんだらになってしまっていて、客席の嘲笑ともつかぬどよめきにステージ上のおばさんたちは動揺して、合唱どころではなくなってしまったのだという。

その証拠に彼女たちの批評は着ている衣装のことばかりである。自分たちのが一番いいと思いたがるのは乙女心ならぬおばさん心とでもいうのだろうか。しかし今回の緑のドレスにしたところで決めたのは団長の佐藤美也子の一声だったらしい。もちろん藤坂あき乃は大騒ぎしたが、衣装決定の権限は役員にあるとつっぱねたのだ。まぁ、着てみたら意外にも似合っていたので藤坂はおとなしくなった。が、そうなると佐藤はおもしろくない。藤坂がいちばん似合わなそうなのをとわざわざ選んだはずだったのに、歳のわりに白くて艶のある肌をもつ藤坂が実によく似合っているではないか。「あたくしのためにあるようなドレスをえらんでくださってありがとう、おほほほ。」と電話で言われたと悔しがっていたそうだ。

「ええと、弘子さん、受け付けしてくれた?」神経質そうに眉間にシワを寄せて団長がわめいている。

「はい。これ、お弁当の引き換えカードです。お茶もつくそうです。ホール横の・・・あ、あそこですね。」弘子が指さしたところで、会場かかりの人たちが各団に弁当を配布中だった。

「パートマネージャー、人数分もらってきて、配ってください。1時30分からここ3階の小会議室で練習しますのでそれまでに昼食をすませましょう。」

美也子はどこで昼食をとるかと辺りを見廻したが、会場内は無理なようだった。外に出てとるのがいいと判断して、「すぐ近くに公園がありましたよね。あたたかいことですし、そこで食べましょう。さぁ、みなさん急いでください。」と言ったとたんだった。

「一時半から練習?今12時45分じゃないの。食べてすぐの練習なんて無理だわ。」

藤坂あき乃だった。

「だいたい、何でそんな時間を指定したのかしら?。」

「あのですね、時間指定は主催者側の決定なんです。希望は出しましたけど、抽選なんですよ、仕方ないんです!。」

「あらそう。あたくしがやってたときは、こちらの希望とおりに出来てたけどねぇ。」

藤坂が合唱団の団長をしていたのは20年前のことであり、ラ・メールのではない。その団は藤坂自身がつぶしてしまったという。しかも、大々的な大会ではなく地域の演奏会程度の規模だったのだ。どんな希望も通った事だろう。

弁当を手に両巨頭が久々の激突か、とみんなは息を飲んだ。

その時だった。





3.失踪

 

「あーっ。」

ガサついたソプラノの大音声が会場のエントランスホールをふるわせる。藤坂の手から弁当がすべりおちたのである。ドレスの入ったバッグの肩ひもがはずれてバランスをくずしたせいであった。バラバラとこぼれる中身から身を引いたので、ますますぶちまけられてしまったのだ。

「いやだわぁ〜!。」

空になった弁当箱を右手に、お茶のペットボトルを左手にささげて藤坂はほえた。すると、何を思ったのか藤坂はくるりと振り向きざま、後に控えるように立っていた二人の団員を怒鳴りつけたのである。

「早く拾って!ほら、これ捨ててきて!。」

足元に散らばったごはんや、鮭の切り身、つけもの、煮物などを拾い始めたのは鹿島月子である。空の弁当箱を捨てるように渡されたのは谷地加寿子という、今年入ったばかりの団員だった。この二人は元々藤坂がつれてきた専業主婦だが、藤坂と家が近所というわけではない。二人ともあまりくわしく語りたがらなかった。それでも気になって一度団長がたずねてみたところ、だんなの仕事関係で知り合ったとしか言わなかったらしい。

二人ともアルトパートで歌うことになったのだが、特に月子は声質もよく音域も広く、ラ・メールにとっては「掘り出し物」といえる人材だった。

玲子もこの二人の加入でますます合唱の幅が広がったように感じ、今年は格上の全日本音楽コンクールに挑戦しようと団員に提案していたのである。はじめて藤坂がラ・メールの役にたったんだ、などと言う者もいた。

「ちょっと藤坂さん、あなたがこぼしたものをなんで月ちゃんとかずちゃんが始末しなくちゃなんないのよ。」

美也子はずいっと藤坂の前に歩み寄った。

「ああ、いいんです、団長さん。手が空いてるんですから、あたしたち。」

あわてたように鹿島月子が鮭の切り身をつまんだまま立ち上がった。

「ほうらね。ありがとう二人とも。いつもあたくしに親切にしてくださるのよね、たすかるわ。」

「団長、藤坂さんのお弁当どうしましょう?。きっちり人数分しかないんですよ。」

すかさず弘子がフォローにまわる。彼女は本当にその場の気まずい雰囲気を変えるタイミングがうまかった。

「ああらぁ、弘子さん、あたくしなら大丈夫ですわよ。言ったでしょ、食べてすぐには歌えないって。始めからあたくし、お弁当を食べるつもりは無かったんだもの、平気ですわよ。だから、お弁当を落としてしまったのも気にすることはないのよ、谷地さん。」

この人はいったい何を言っているんだろうと弘子までもが思ったとき、谷地が小さな声で

「すみません・・・。」 と謝りながら、ゴミ箱を探しに行った。

「藤坂さん、あんた!?」 美也子がなおも言いつのろうと身をのりだしたのだが、とうとう玲子が割ってはいった。

「みなさん、早く食べちゃわないと練習できなくなりますよ。あの個所の確認したいでしょう?。」

すでに時刻は1時をまわっていたのだ。

「美也子ちゃん、あたくしはここに残ってますから、どうぞ行ってらしたら。」

「はいはい、どうぞお好きになさいませ」

もういい加減にあきれ果てた美也子が言い捨てるのを合図にラ・メールの団員は藤坂ひとりをエントランスに残して弁当とお茶、大事なドレス入りのバッグを抱えて外へ出て行った。

公園で急いで食べ終わり、各自でゴミの始末をはじめたころ、アルトのパートリーダー、本田元子が鹿島と谷地を探していた。

「どこ行っちゃたんだろう、あの二人は・・・。」

「うろちょろしないの、ぽんちゃん。決まってんでしょ。オババのとこよ。」 

藤坂のことを団員は影で“オババ”と呼ぶ。

「オババに弁当とられているかもね?」

「そうそう。お昼ごはん、食べないわけないじゃん、 あのケチババアが。」

なんで、こうトラブル起こしたがるのかしらねぇ、と本田がつぶやいたとき、 鹿島と谷地が赤い顔をして走ってきた。

「あの、藤坂さん、来てませんか?」 息を切らせながら鹿島があたりを探すように見渡している。

「え?いっしょじゃなかったの、あなたたち。」

「はぁ、そうなんですけど。やっぱりお腹がすいたから、お弁当がほしいとおっしゃったので、コンビニに行ってきたんですが、ホールに戻ったらどこにもいなくて・・・。」

谷地の手には向かいのコンビニから買ってきた弁当が下げてあった。

「あなたたちは食べたの?」 「え?あ、はい。」

どこまで世話かけたら気が済むんだろうと本田もまた腹が立ってしょうがなかったので、

「もう練習時間だもの。藤坂さんはかまわないでいいわよ。また、気まぐれにどっかふらついてるんでしょう。」

藤坂には前科があったのだ。おととしの秋田大会で、演奏終了後こつぜんと姿を消してしまい、大騒ぎになったのである。結局、会場近くの喫茶店で眠り込んでいたのだが、団長に言い置いてあったはずだといってきかなかった。もちろん、そんな事実はなかったのだが。

「とにかく、練習場へ急ぎましょう。あと、5分よ。」

そのうちひょこっり戻るだろう、あの藤坂さんならば。ということになり、リハーサル前の練習がはじまった。

しかし、肝心の藤坂がいないのだ。問題の個所も楽譜どおりにすすんでいってしまった。

「練習の意味がなかったわね。」

「玲子、仕方が無いわね、本番でアドリブするしかないみたいよ、これは。」

少し不安になって話しはじめたのだが、団員の中から元気な声が聞こえてきた。

「先生、大丈夫ですよぉ。先生の棒にあわせて歌ってるんですから、あたしたち。」

「そうそう、いつものことでしょう?。」

朗らかな笑いがおこり、練習が再開された。そして、美しいハーモニーはまさに玲子のいう“天女”にふさわしいものだった。

だが、練習が終了しても藤坂は戻って来ず、さすがに団長以下心配しはじめたのだが出番はもうすぐである。とても探す時間など無かった。役員たちがひとかたまりで話し合っていた。

「きっとまた、どこかでお茶していて、そのままお昼寝モードなんじゃないの?」 

「とにかく、もう着替えないと。」

結論は藤坂にかまわず演奏しようということになった。ひとりの身勝手のために団が犠牲になるわけにはいかないのだ。

「お互いに衣装の点検をしてください。貴重品はこの袋にいれてね、一括して預かってもらいますので。」

本田が大声で触れまわりながら、各自の財布を集めている。

 新しいドレスに身を包み、顔を直して「天女」のできあがりである。生地がすこし厚めなので今日のような日には暑く感じられた。藤坂オババならばすかさず、暑いわよ!とわめくところかもねぇ、などと言い合っている。ちっとも心配している風では無い。

玲子はさすがに気になって

「いいのですか、団長さん。」 と尋ねてみたのだが、美也子は 「大人なんですから。自分の責任で行動しているはずです。今度もし誰かのせいにしたら、ちゃんと言います。」

こういうときはワンマン団長でもそれなりに頼もしいものである。

「わーっ、杏子先生きれい〜。」

うす緑のオーガンジ―のブラウスが杏子のほっそりした身体によく似合っていた。団員達が杏子の周りに群がっている。口々にほめそやすおばさんたちを掻き分けて玲子の元に近寄ってきた。

「藤坂さん、来ないんですって?じゃ、あの個所は楽譜どおりってことなのね?」

「ええ、一応ね。でも私が気もちよくなりすぎて、伸ばしちゃうかもしれないわ。そのときはみなさん、どうか棒に合わせて下さいませ!」

玲子の一言にラ・メールはようやく気持ちがひとつにまとまり、リハーサルも終えた.

出番5分前だった。






4.発見

杏子のピアノがフェードアウトし、玲子の指揮棒が頭上を向いたまま静止、ソプラノがピアニッシモのまますこしずつデクレッシェンドしていく。そして完全に音が消えた時、玲子は棒を下げ、ニッコリ微笑んだ。

 

われんばかりの拍手であった。のびのびとした歌声はもちろんのこと、指揮の見事さ、伴奏の巧みさ、そしてなにより歌っているメンバーの表情が歌の内容と絶妙にマッチし、会場中を魅了したのである。

ヴラボーの声までかかっていた。たかがママさんコーラスというなかれ、感動は等しく与えられた・・・。

ここにもひとり。

最初は何でここにいるのかまったく違和感をもって客席にすわっていたのだが、ラ・メールの合唱にいたく感激し立ち上がって拍手しているおじさんがいる。

開田久也。近くの小さな村の巡査であるが、今日は非番であり、娘と聞きに来ていたのだ。彼の娘は地元の合唱団に参加していることもあり、チケットがあるからと引っ張られてきた。たまには自慢の娘とデートも悪くないと喜んだのだが、おばさんの合唱なんてどこが面白いんだと、うそぶいていたのだった。

さきほどのヴラボーも彼が思わず咆えたものだった。隣にすわっていた娘のあゆみは恥ずかしそうに開田の上着の裾をひっぱっている。

「いんやーっ、おばちゃんらもやるもんだなぁ。いんやーいかった、いかった!!。」

なにがどういかったのかわからないが、彼の目の端には光るものまで付いていた。

「お父ちゃん、泣いてんの?」 あゆみはびっくりして覗き込んだ。そして失礼千番なことにくすくす笑い始めていた。

彼女は混声合唱団に所属している。男もいる合唱団なのだから、その中からでも手ごろなやつを見つけてさっさと嫁にいっちまえと、よく開田は言うのだが、あゆみの返答は決まっていた。

「お姉ちゃんが先。」

開田の長女はいわゆるキャリアというやつで、大学在学中に国家公務員上級試験にパスし、卒業後はそのまま警視庁に配属されたエリートである。父親の今の階級など一足とびに飛び越えて警視正であった。つまり、雲の上の上司である。

そんな娘に“嫁に行け”なんて口が裂けようが、股が引き裂かれようが言えたもんではない。

彼女は庁舎の中でも今や怖いもの無しの存在なのである。

常に超ミニのスカートを着用、サラサラの長い髪をなびかせて闊歩している。女優もかくやというほどの派手な美貌と捜査の才能に誰も口出し無用なのである。

「理璃香姉が先にいってから、あたしは考えることにしてるんだもの。お父ちゃん、お姉ちゃんに先に言ってよね。」

言えるわけがないとわかっていながら、あゆみは父をいじめているのだった。

親の欲目だけではない。あゆみは死んだ妻に似て、美しい娘に成長したと思う。ぽっちゃりとして桜色の頬が実にかわいらしかった。二重の黒目勝ちの瞳もキラキラと輝いて聡明さをあらわしている。ほんとうに妻に似てきたなぁと思った瞬間、開田は不覚にもまた涙がわいてきてしまった。

「お前、モテるだろう?」 ごまかすためについて出た言葉である。

「ほら。」  あゆみはティッシュを差し出した。「でも、残念だよね。このラ・メールってとこ、今年は全国大会にいけない決まりなんだもの。」

「なに?なんでだ!?」

「去年行ったのよ。だから、その後2年は行けないって決まりがあるの。」

「なんつー変なルールだな。」

「ママさんコーラスだもの。“楽しく”がモットーなのよ。等しくチャンスをみなさんに、というのが主旨。」

開田は半分納得したが、この感動を全国大会で披露できないのはもったいないと思った。そのとき、会場内に呼び出しのアナウンスがかかった。

・・・・・・夜泣村の開田さま、夜泣村の開田さま、ご面会の方がいらっしゃいますので、受け付け前までお越しください・・・・

開田は瞬間硬直してしまった。こういうのを条件反射というのかもしれない。

「あ、あ、あゆ、あゆ、あゆぅ〜」

「お姉ちゃんでしょ。来るってわかってたんだもの、そんなにふるえなくってもいいでしょ。もう、自分の娘なんだし。」

苦笑されても、自分の娘でも苦手なものはしょうがないじゃないかとぶつぶつ言いながら、のろのろと立ち上がる。

ステージ上では最後のコーラス団が整列しはじめていた。

―――

開田は階段の影からこっそり受け付けを覗いてみた。

いた。

理璃香である。

上下黒レザーの超ミニからすらりと伸びた足が自慢気である。

「なんだ、あの模様は・・・毒ヘビ柄か?」 そんなことは本人にはとても言えない。

理璃香は受付に寄りかかりながら父を待っていた。四方に目を配るのはもう本能みたいなものだろう。意識せずにいつもそうやっているのだ。獲物をねらう雌豹のごとくねらったモノを外した事は無い。

「おやじ!」

本日二度目の大音声が響いた。ただし今回は艶のあるアルトである。ホールにいた誰もが彼女をふりかえる。

見られるのは当然のことといわんばかりのイキオイで開田にむかって突進してくる。開田の脳裏に夕べTVで見た“ターミネーター2”のBGMがわきあがってきた。雌豹にくわえられたあわれな子ダヌキといった風情で開田はちぢこまっている。なんで親なのにこんなに卑屈な思いをせねばならんのだ、とは自分でも感じるのだが、反射的に絶対服従の姿勢をとってしまう。気が付かないうちに暗示をかけられてしまったんだろうかと、自分の娘を疑ったことさえあるのだが・・・。

「あゆはどうした?!」 やっぱり高飛車である。

「・・・会場にいるよぉ〜。」

「ちょっと、父ちゃん!ヘンな虫なんてつけちゃいないでしょうね?まぁ、この界隈にはあたしがクギさしておいたから、そんな命知らずのバカはいないと思うけど。」

開田より5センチ背が高い娘である。しかも今日はハイヒール使用中のうえ全身黒づくめ。開田もまた一張らの黒のマオカラーシャツに黒のパンツという出で立ちだったので、二匹の細い黒いへびが立ち上がって睨みあいしているようだ。そういうところでこの親子はよく似ている。顔立ちも理璃香は父親似だった。

「り、り、りりかさん。お、おま、おまえねぇ、妹が今年いくつになるかわかってんの?」

のけぞりながらやっとの思いで久しぶりに長女に逆らってみる。後ろに壁があってよかった、などと頭のすみっこで思う。

「バカオヤジ!わからいでか!あたしより10↓。」

開田がひとつやっと喋れても、還ってくるのはその10倍のトゲだらけの言葉である。どうして、この娘はいたいけな年寄りに冷たくあたるのだろう。おれがいったい何をした?・・・思い当たる節が多すぎて何も言えない自分が口惜しや・・・と左の親指を噛んでみせたが娘には通じない。

「今日はこれを持ってきたのよ!」

空気を裂くカマイタチのような動きをみせて、理璃香は父親にうすっぺらな角封筒をさしだした。

「見合い写真!!」

 

 演奏を無事にこなし、すごい拍手をもらってラ・メールの面々は満足そうに控室にもどってきた。ほかの団のおばさんたちともいっしょなので姦しかった。

「ブラボーって聞こえたよね。」「気持ちよかった〜。」「あたし何だか興奮してる。」「いやだぁ、泣いてるよ、このひと!」

頬を紅潮させながらドレスをぬぎ、私服に着替え、また顔を直しても興奮はさめなかった。

団長の佐藤美也子はいちはやく着替えをすませて、皆に号令をかける。

「みなさん、今日はほんとうにすばらしかったです。これもみんな、玲子先生や杏子先生のご指導の賜物です。」

団員が全員で「ありがとうございました」と唱和する。

「いえいえ、私達こそみなさんのパワーには圧倒されっぱなしです。ほんとにすごく良かったですよ。そこで、みなさん、どうでしょう?夏にある全日本音楽コンクールに挑戦してみませんか?」

いっせいにどよめきがあがった。

全日本音楽コンクールは格がちがう。第一、県予選を突破するだけでも大変で、ブロック大会もクリアしないと本選には出られない。

「みなさんの実力ならブロック大会には行けるでしょう。もしかしたら本選にも・・・」 杏子も加勢する。

おばさんたちはますます舞い上がってしまった。

「出ましょうよ!」「そうね、別にこわいもんなんてないもんね、あたしたち。」「団長、そうしましょうよ」

口々にやる気が伝わってくる。

「藤坂さんさえいなきゃ全国大会まちがい無しよ!」

誰かがそうすべらせたときだった。

「彼女どうしたっけ?」

藤坂は戻っていなかった。

「まったく毎年毎年アノヒトはなんなんだろう。私を困らせて何の得があるってのかしら、ほんとに!」

美也子はそれでも団員に会場内を探すように指示した。それでも見つからない時は一足飛びに警察へお願いしようということにした。

「恥かかすのも迷惑オババにはいい薬よね」ときこえてくる。

本田が受付から貴重品を返してもらってきてみんなに戻し始めていた。

「さっきね、すんごい美人がホールにいたのよ。女優さんみたいだった。超ミニだったし、ヘビ柄のストッキングはいてたんだよ、こんくらいのやつ。」 本田は自分の茶色のロングスカートを太ももまでまくりあげてみせた。

「やだぁ、ぽんちゃん。デンセンしてるじゃないの。」

「そういう月チャンもファスナーしめわすれ。」 谷地がほがらかに笑った。

藤坂が姿をみせないのにだれも深刻に受け止めてはいない。全日本音楽コンクールに挑戦することになって心なしか浮かれ気味の団員たちであった。

 

各所を探し回った団員達が「いない」という報告にかえってくる。

「仕方ないわねぇ。」 と団長が腰をあげたときだった。

 屋上を担当したメゾパートリーダーの沼澤栄子がまっさおな顔でかけこんで来た。

「だ、だん・・・たいっ・・たいへ・・うくっ!」

「どうしたの、栄子ちゃん!?いたのっ?」

「ふ・・・ふじ・・・し・・・死・・・死んでますっ!!」 






5.過去

 青森県民センターは黒山の人だかりであった。パトカーの赤色灯が何個もまわっている。黄色いテープがはりめぐらされて巡査が見張りに立っていた。会場内のおばさんたち全員が拘束されているのだが、演奏が早く終った団の多くが結果を聞かずに帰っているので千名ほどであろうか。しかし、須羽、真久那の両刑事はうんざりした面持ちで出演者名簿をながめていた。ひとりひとりの確認作業を命じられたのだ。

「ま、各団の団長にでも照会してだな、早くすませようぜ」

「でも、まだこの時間、家には帰っていないだろう?観光しながらってのが多いらしいし。」

「いったん家から出たら女ってやつぁ、なかなか帰らんもんらしいしなぁ」

独身の彼らは先輩刑事たちからいろいろ聞かされているのだろうか、おばちゃんの習性は把握してあるようだ。

「とりあえず、中にいる連中から・・・。」

ふたりは煙草の吸殻をすてて喧騒の会場内にのそのそと歩いていった。

 藤坂は屋上に倒れていた。階段出入り口から出て、くるりと回ったでっぱりの影にひきずられてきたらしい。すでに鑑識が検視をはじめていたし検死官も来ていた。

「ああ、ちょっとそこのあなた。一般人は入っちゃいかんよ!」

少し小太りの刑事が理璃香を見咎めて指を突きつけた。

理璃香は有無をいわさず大きなダイヤを光らせた左手でその小太りの右手人差し指をねじりあげつつ、ワインレッドのマニュキアが輝く右手の警察手帳を電光石火の早業で小太り刑事のまるっこい顔面にべったり押し付けながら、

「開田理璃香警視正。管轄外および休暇中でもあるけれどぉ、あたしがここに運よく居り合せた限り、しのごの言うんじゃない!!」

と、本日3度目の大音声を屋上に響かせた。

その悶着を聞きつけたのだろう。検死官のひとりが顔をあげた。

「開田?!開田先輩じゃないですか!」

「あーん?誰だ、あたしを呼び捨てにするやつぁ。」 ぎろりと大きな瞳で睨む。

「おれ!大学の後輩の隆 武。」

さわやかに手をあげたのは理璃香の3年後輩の“りゅう たけし”だった。ちっとも変わっていないと理璃香は思った。彼は大学時代、合気道同好会の仲間であった。つきあったというわけではなかったが理璃香は彼といるときが楽しかったし、何よりも彼の深い洞察力と真摯な研究態度に好感をもっていたのだ。

あこがれだったかもしれない。でもそれだけであった。卒業以来の再会である。

「タカタケ?なんであんた、ここにいるのよ?!」

「あいかわらずだなぁ。そのタカタケってやめてくださいってば!」

隆は青森医科歯科大学の助教授になっていた。

「あのぉ〜」 消え入りそうな声が隆を呼んでいる。

「おお。先輩、紹介しますよ。助手の五利くん。ゴリ、おれの大学の先輩、開田理璃香女史。ま、おれらの女王様だったお方だな。」

ゴリとよばれた青年はまぶしそうに理璃香をみつめた。

「だった、ってのはなによ。現在も進行形でおっしゃい!」 ムチをうならせるがごとき、4回めの大音声発声しながら五利の男にしては華奢な長い指をにぎりしめた。握手らしかったのだが、五利が痛みに顔をしかめているのを理璃香は気づかない。

「で、死因は?」

「ううん、解剖してみないと断定はできないけど、おそらく窒息死でしょう。首をしめたっていうより、こう、なにか袋かなんかをかぶせたのかもしれないですね。」

「・・・・睡眠薬、か・・・。」 理璃香がボソッと言う。

「さすが女王様。」

「動機はなんだろう?」

「それは女王様たちのお仕事。」

二人のやりとりを大人しく聞いていたさきほどの小太り刑事が右手の人差し指をさすりつつ、おそるおそる口を開いた。

「開田警視どの。あの、うちの責任者がお会いしたいと・・・・」

「ん?」 理璃香がふりむいたとき

「よぉ、りー坊!」 聞き覚えのある声がした。

「堀戸のおじさま?!」

青森県警本部長の堀戸であった。父親の開田とは同期でむかしはよく家に遊びにきていたのだが、開田が青森の駐在勤務になってからは年賀状のやりとり程度になってしまったのだ。

「しばらく会わないうちに、すごい美人になったなぁ、りー坊。」

「お久しぶりですわ。おじさまこそお変わりなくて!うちのジジイとはくらべものにならないくらい、お若くてらっしゃるもの。」 理璃香の、おさない初恋のヒトであった。

「開田とはさっき会ってきたよ。非番だってのにちょっと頼みごとしてきたんだが。」

「え?何をですか?おじさま無謀だわ。あのジジイにまかせたら何しでかすかわかったもんじゃないってのに。」

昔、堀戸と開田はむずかしい事件を担当した。事件は二人の活躍で無事解決したのだが、そのさいの様々な不始末の全責任を開田が引き受けて青森の田舎にひっこんだのである。

左遷であった。理璃香がまだ中学生のころの話である。

しかし、田舎暮らしが性にあっていたのだろう。開田はのんびりした村の駐在さんを楽しんでいるのだが、娘の理璃香には我慢ならない歯がゆさが残った。昇進試験もいっさい受けようとしない父親への反発もあって、理璃香は猛勉強のすえ一流大学からキャリアの道を選んだのである。父親になりかわって警察機構へのリベンジをはたしたかったのかもしれない。

堀戸は開田への謝罪の気持ちが未だにぬぐえないでいた。すこしでも彼の近くに行きたいと長年思いつめていたのだった。今年ようやくその希望がかなったのである。挨拶もできないでいたのに、事件発生が彼らの再会も促すとは奇妙な因縁かもしれなかった。

 

その頃、開田は県警の刑事とふたりでラ・メールの面々が控えている小会議室にいた。つい数時間前にはここで練習していたのである。先ほどの満足感とはなやかさは影もなく、上をむいたままのもの、くちびるをきつく噛むものと様々だったが、泣くものはひとりもいない。

開田にはそれが奇異に感じられた。ひとりひとり招き入れて事情を聴く。

「ええっと、団長さんでしたな?」

「はい。佐藤美也子と申します。」

「いやぁ、みなさんの演奏はすごかった!すばらしかった!あたしゃ、不覚にも涙なんぞ出てしまいましたな。でも、全国大会には出られないとか?」

「はぁ、ありがとうございます。規定がございましてね。でも、全日本の方へエントリーしようと思ってますが。」

「ほほう。コンクールってのも色々あるんでしょうなぁ。うちの娘もね、やってるんですよ。混声ってのですが。」

「そうですか・・・」

「しかし今日のは、ええっと何ていうんですか、死んだ妻がアノ世から遺して来た家族をおもって歌うという内容の、・・・いいですなぁ。いえね、あたしゃ妻を10年前に亡くしてまして・・・」

また涙がわいてくる。出しそこなったハナミズをすすりあげ、飲み込みながら開田は尋ねた。

「で、団長さん。藤坂さんがいなくなったのに気づいたのはいつですか?」

「あの、私は本田さんに言われるまではちょっとわかりませんでした。」 美也子の顔はこわばったままである。

開田は本田にそのときの様子を聞き出し、鹿島と谷地に最後に見かけたときのことを確認した。

彼女らは異口同音のこたえであった。藤坂が弁当を落としたこと、ゴミ箱へ捨てに行っているうちに団員が先に公園に行ってしまい、自分達も後を追おうとすると藤坂が「やっぱり弁当が欲しい」と言ったので二人でコンビニに買いに行った。戻ってきたら藤坂がどこにもいないので公園の本田たちのところへ探しに行った。

「で、あなたがたはいつ、お弁当を食べたんです?」  開田はなにげなく聞いた。

鹿島はすこし言いよどんでから「食べていません。」 とこたえ、谷地もまたそれを認めた。

「本田さんには昼食をとったっていいませんでしたか?」

「心配すると思ったんです。」 気をつかったのだろう。食べられなかった弁当は捨てたらしい。

「なるほど。藤坂さんという人は、なんつうかこう、皆さんによく思われていなかったみたいですな。なかなかにキツメの方のようで。しかし、あなた方ふたりは違っていた。よく面倒をみてたそうじゃないですか?」

「・・・・刑事さん、何がおっしゃりたいのですか?」 谷地はふるえながらもキッと開田をみつめる。

「あたしたちが藤坂さんをうらんで、その、あの・・・。あたしたち殺してなんかいません!」

先に聴取をした鹿島も同じように叫んでいたのである。「たしかに何かにつけて命令されてたりしたけれど、恨みとかそういうのはありませんでした。だって、ほんとに嫌だって思ったら、団を辞めれば済むことでしょう?」

「いやいや、あなた方を疑うとかそういうことではないのですよ。常に藤坂さんのそばにいた人というふうに聞きましたのでね。まぁ、そういうことなので失礼の段はお許しください。」

さすがにベテランであった。穏やかに弁解されて、鹿島も谷地もほっとした表情を浮かべて部屋を出たのである。

それからしばらくのあいだ開田はまんべんなく団員に事情を聴いていた。

 

会場に足止めを食らわせられたおばちゃんたち千人の身元を確認し終え、すでに帰ってしまった団にもなんとか連絡をとり終えた須羽と真久那はホールのベンチにすわりこんで一服していた。

「なんなんだ?あのオバタリアンってのは!?」

「人一人死んでるってのによくもまぁあんなにはしゃげるもんだぜ・・・。」

「どんなにイイ女でも、行き着く先はアレなんだろうか。おれ、結婚すんの嫌になってきたぞ。」

しみじみとうんざりとぐったりと煙草の煙を吐き出したとき、

「ナニ、さぼっとるかぁ!!」 本日4度目の大音声である。須羽と真久那のかよわい神経細胞が裂傷した。

「はっ!すみませんでありますぅっ!!」

「あります、は余計だバカモノ!!」

「はっ!ありますですみませんっ!!」 理璃香の黄金の右手が須羽の後頭部をなでた。倒れこむ須羽をかばった真久那は彼の下敷きになってうめいている。

「まぁまぁ、りー坊、うちの若いもんをそうビビらすんじゃないよ。」

堀戸が穏やかな笑みを浮かべてホールに下りてきた。開田も並んで歩いている。

「あらイヤだ、おじさま。みてらしたの?なによ、お父ちゃん、まだいたの?さっさと帰りなさいよ、おじさまのじゃましたら許さないわよ。」

開田は理璃香の挑発にのってこなかった。

「りー坊、そういうなって。君のオヤジどのはさすがだよ。」

「堀戸・・・」

「そうだったな・・・」

開田はここ数年見せたことが無いような厳しい顔つきをしている。いつのまにかあゆみが理璃香の腕にすがりついていた。

「お父ちゃん、何かわかったのね?」 あゆみを左腕にぶらさげたまま理璃香が吼える。

「・・・・」

哀しそうな父親の気配を察して理璃香の表情がくもり、あゆみの手をぎゅっと握った。

その時、検死を終えた検死官の隆と五利がおりてきた。

「先輩、まぁほぼまちがいなく睡眠薬による導眠とその後の窒息でしょう・・・・あれ、みなさんどうしました?」

「ああ、隆くんごくろうさんだったね。」

堀戸が静かに言った。「でも、もう間もなく解決すると思う。この開田巡査のお手柄でね。」

開田は黙ったままである。少しかさついて皮がめくれかけている下唇をきつくかみ締めたままだった。

「お父ちゃん!」

「リー坊、オヤジさんは待っているんだよ。」

「なにを?」 ちいさな声であゆみが聞く。

「誰を?」 理璃香がつぶやく。






6.回想

 藤坂の夫は当時、今でいうサラ金、金貸しをしていた。もちろんもぐりである。表向きの仕事は市会議員。議員が法律違反をしていいわけがないが、ほかの殆どの議員が彼に選挙資金を借りたりしていたので、だれも文句がいえなかったのである。藤坂自身は高校の音楽教師であったが、彼女のつとめる高校は実業高校で音楽教科は選択であり、部活も音楽部は器楽だけだった。器楽の指導は藤坂にはできなかった。

 そういうわけで、彼女の自己顕示欲は満たされず、20年前に合唱団を立ち上げたのである。夫の仲間の奥様方を強引にさそって、それでも20余名にはなっただろうか。伴奏者は夫が金をかしている人間の妻に無理強いしたそうである。夫の借金を棒引きしてやるからと半ば脅しに近かった。指揮はもちろん藤坂である。しかし、楽譜の指示を無視して自分の感性だけを押し付けるので曲そのもののイメージが台無しになることが多かった。それでも、おばさんコーラスだからと自己満足していれば何の問題もなかったのだが、地域の演奏会に出演することにしてしまった。

 これも藤坂の独断だったらしい。指揮者自ら白のウエディングまがいのドレスに身をつつみ、いつものように自己中の棒フリがはじまった。合唱はともかく、ピアニストにはたまったもんではないだろう。案の定、指揮と歌と伴奏がバラバラで客席からは失笑がもれたのだという。

 演奏終了後、藤坂は失敗をピアニストになすりつけた。団員も多くが選挙のたびに金を借りている手前、藤坂のかたを持つ。

「あんたのせいで笑いものになったんだ。責任をとってもらうからね!」

ピアニストの背に投げつけられた言葉であった。

 しばらくするとピアニストの家にはやくざまがいの借金とりが昼夜を問わずやってくるようになった。夫は耐え切れずに失踪し、彼女もまたすこしずつ心が病んで行った。

 その頃藤阪の合唱団は解散した。ア・カペラで歌えるほど実力はない。ピアニストも前任者のいきさつがわかっているので成り手などいるわけがない。藤坂はまた悶々としているとき、新合唱団ができることを聞きつけた。10年前のことである。残念ながら指揮者は決まっていたのだが、喰らいつくには充分なツテがあった。佐藤美也子である。彼女の亭主もまた藤坂から借金していた。得意のゴリおしである。さすがに団長の名乗りはあげられなかったが、ソプラノパートリーダーでがまんすることにした。

ラ・メールはすばらしい合唱団であった。藤坂は別として平均年齢が30代前半、指揮者は大学出たての中学教師。ただし、ピアニストは長続きしなかった。玲子がソプラノを注意するたび、藤坂は伴奏がわるいからだのピアノの調律がおかしいからだのといって大騒ぎするのである。10年間で5人が去っていった。

そして今年、藤坂が新入団員をふたりつれてきた。鹿島と谷地は声が優れているばかりでなく、人間性も申し分の無い若い専業主婦で、団員は藤坂との関係を訝しがったそうである。

彼女たちの夫が高校時代に藤坂の教え子で、去年の暮れにクラス会があった際、彼らの妻が合唱経験者であることを聞きつけてさそったのだそうだ。その上リストラで無職であった夫たちに職を世話してくれたのだという。

「それで?」 と、理璃香は炬燵のテーブルの上に派手な美貌をさらし首にしつつ父親に尋ねた。久しぶりの実家ではノーメークであるが父親似の彫りの深い顔立ちはじゅうぶん美しかった。警視正ではあっても、あくまでも管轄外である。堀戸の立場もあって、あれ以上首を突っ込むわけにはいかない。

犯人が自首したのは開田のお手柄である。

静かに説得したのだそうだ。ただの村の駐在さんだからできたのかもしれないと理璃香は思ったが口には出さなかった。

「杏子さんはやくざにいじめられたお母さんのためにソロのピアニストの夢をあきらめたのだそうだ。」

ピアノで一人前になるのにはお金がかかる。海外で賞を取るためにも、有名な先生に師事するにも金がいる。彼女の両親は杏子の才能のために自分達の生活を犠牲にして金を作っていた。

「杏子さんのお父さんはどうしたの?」 あゆみがティッシュで涙をぬぐいながら父親に聞いた。目が真赤である。真っ白いうさぎが首をかしげて見つめているようですこぶるかわいかった。

「おまえ、もてるだろう?」 焼酎のカルピス割を持った手であゆみのほっぺたをつんっとつついたとき、開田の額は理璃香の平手打ちに遭遇してしまった。

「こんの、セクハラおやじ!」

「おま、おまえ〜親の頭にナニをする〜父親が娘のほっぺをつついてナニが悪い〜?おっぱいつついたわけじゃあるまいし〜〜 」 といいつつふらついたので、思いっきり理璃香の胸をつかんでしまった。コップ一杯の焼酎は開田にとって魔界の使いだったのだ。

この世でやってはいけない行為の第3番目を酔っていたとはいえ、事故とはいえしてしまったのだ。ちなみに第1はテロ、第2は返せない借金。

報復攻撃は熾烈を極めるのが世の習いである。

「お〜や〜じぃ・・・コロス・・・」

理璃香の白魚の指が10本とも開田の首にかかる。細いのだがきたえぬかれた筋肉である。両手の握力は40を超える。手相も“家康の手”と呼ばれる世にもめずらしい相をしているのだ。性格ともに死んだ母親ゆずりである。

「ぐぅぇ〜〜!」

「ねぇ、お姉ちゃん、杏子さんどのくらいの刑になるの?」

「さあね。殺人罪ってのも色々あってさ。情状酌量ってのもあるけど、彼女の場合殺意は明白だし、計画性も問われるかもしれない。」 のびてしまった父親の額を抱えて、理璃香はワインをのみほした。

「そっか。自分のために両親が辛い目にあったなんてね。娘としては切ないよ。」

「うちはオヤジのために家族が辛い目にあってんだ。」

「え〜そんなことないよ。あたしは楽しいもの。」

理璃香は3本目のワインを出してきて、

「父親って人は失踪後しばらくして自殺してたって。保険金が出るでしょ。自分を殺したんだよ。」 らっぱのみしはじめた。

 杏子はピアニストをあきらめ、地元にもどってピアノ教室を開いた。母親が倒れそのまま他界してしまったころ、玲子から伴奏者の依頼が来たのである。願っても無い事だったろう。

 鹿島と谷地はとにかく藤坂をコンクールに出したくなかった。暖かくて気持ちいいからと屋上にさそって、鹿島の夫が病院でもらっていた睡眠導入剤入りのお茶をのませ、寝入ってから本田のところに行った。コンビニには谷地が一人で行った。

 杏子は一部始終を見ていた。ずっとチャンスを伺っていたのだろう。藤坂が眠りこけ、鹿島と谷地が証拠を片付けたのを見届けてから犯行に及んだのだ。

 自分の弁当のポリ袋を藤坂の顔にかぶせて、なおも口と鼻を押さえつけていた。10分もすると藤坂は息をしなくなったという。ポリ袋は杏子の所持品から見つかった。藤坂のくちべにがついていたのだ。

「どんな気持ちだったんだろうね。」 あゆみがそっと理璃香のワインをとりあげて言った。

 アリバイと状況証拠だけでこのセクハラおやじは杏子を自首までさせたのか?いったい何といって口説いたのだろう。と、理璃香は涙とハナミズとよだれをたらして眠っている父親の鼻をぎゅうっとつまみあげた。

―――

おばさんたちの喧騒もここでは無縁であった。ちょうど犯行のあった時刻、アリバイのない人間はひとりだけだった。

「雲野杏子さん、ですね。」

「はい。」

「あなたのピアノはすばらしいですなぁ。素人のおじさんにもわかるんですからなぁ。いやぁ、感動しましたよ。」

「いいえ、私の技量というより指揮者の指示どおり弾いているだけです。」

「いやいや、あのピアノソロの部分ですよ。絶妙のハーモニーでコーラスが続く、あのところであたしゃ涙がつつつぅと。そして歌詞がまた泣かせるじゃありませんか。」

「そう・・ですね・・・。」

「杏子さんのお母さんの心も同じなんじゃありませんか?」

「!」






7.エピローグ

 夏も盛りをすぎているはずなのに、まだまだ暑さが続いていた。

 

ラ・メールはピアニストなしで全日本音楽コンクール・県大会にのぞんだ。ア・カペラでの挑戦である。万感をこめて歌うおばさんたちにやはり会場中がわいた。ブロック大会出場はおろか、特別推薦で全国大会行きが決まってしまったのである。

開田はそれをあゆみから聞いた。

鹿島と谷地は退団を申し出たのだが団長の一声で残留が決まったらしい。事実このふたりのアルトがなければここまでの深い表現は出来なかったであろう。

藤坂の解剖の結果、彼女の脳には老人性痴呆症の兆候があらわれていたそうである。物忘れがひどかったのはそのせいだったかもしれない。

 あゆみといえば近頃ひんぱんにメールなるもののやりとりをしているようだ。気になって気になって、ついPCをのぞきこんだのだが、『RYUさま・・・』の書き出しを確認した段階で部屋を追い出されてしまった。理璃香が黙っているところをみると黙認しているらしい。しかも理璃香も、あの理璃香にも、いるらしいのである・・・。青天の霹靂、鬼の霍乱、天変地異、日本沈没!あゆみとの電話を盗み聞きしたところによると、ゴリラがどうたらこうたらいっていたので、動物学者かもしれない・・・年下らしいのが気にかかるが、“おじさま”好きも収まったのが安心といえば安心だった。

 そうだ、お見合い写真!

あゆみにはめでたく最高の彼氏があらわれたのだから、もう必要ないだろう。返却せねばと思って、まだ中身をみていなかったことに今ごろ気がついた。

どれどれ、話のタネにみてやろうかい、と開田は角封筒からご丁寧な装丁の御見合い写真をとりだし、ぴら〜んとハトロン紙をめくった。

「ん?・・・???んんんん〜!!?」

 

「何だこりゃ?」

美しく着飾った年のころ50そこそこのおばさんが、にっこり微笑んでいた。

―― おわり ――